ば、すぐに誰か出て来るからつて、女中が然《そ》う言つて居たんですから。」とまた玉江が言ふ。
 成程《なるほど》、島を越した向う岸の萩《はぎ》の根に、一人乗るほどの小船《こぶね》が見える。中洲《なかず》の島で、納涼《すずみ》ながら酒宴をする時、母屋《おもや》から料理を運ぶ通船《かよいぶね》である。
 玉野さへ興《きょう》に乗つたらしく、
「お嬢様、船を少し廻しますわ。」
「だつて、こんな池で助船《たすけぶね》でも呼んで覧《み》たが可《い》い、飛んだお笑ひ草で末代《まつだい》までの恥辱ぢやあないか。あれお止《よ》しよ。」
 と言ふのに、――逆について船がくいと廻りかけると、ざぶりと波が立つた。其の響きかも知れぬ。小さな御幣の、廻りながら、遠くへ離れて、小さな浮木《うき》ほどに成つて居たのが、ツウと浮いて、板ぐるみ、グイと傾いて、水の面《おも》にぴたりとついたと思ふと、罔竜《あまりょう》の頭《かしら》、絵《えが》ける鬼火《ひとだま》の如き一条《ひとすじ》の脈《みゃく》が、竜《たつ》の口《くち》からむくりと湧《わ》いて、水を一文字《いちもんじ》に、射《い》て疾《と》く、船に近づくと斉《ひと》しく、波はざツと鳴つた。
 女優の船頭は棹《さお》を落した。
 あれ/\、其の波頭《なみがしら》が忽《たちま》ち船底《ふなぞこ》を噛《か》むかとすれば、傾く船に三人が声を殺した。途端に二三|尺《じゃく》あとへ引いて、薄波《うすなみ》を一煽《ひとあお》り、其の形に煽るや否《いな》や、人の立つ如く、空へ大《おおい》なる魚《うお》が飛んだ。
 瞬間、島の青柳《あおやぎ》に銀の影が、パツと映《さ》して、魚《うお》は紫立《むらさきだ》つたる鱗《うろこ》を、冴《さ》えた金色《こんじき》に輝かしつゝ颯《さっ》と刎《は》ねたのが、飜然《ひらり》と宙を躍《おど》つて、船の中へ堂《どう》と落ちた。其時《そのとき》、水がドブンと鳴つた。
 舳《みよし》と艫《とも》へ、二人はアツと飛退《とびの》いた。紫玉は欄干《らんかん》に縋《すが》つて身を転《か》はす。
 落ちつゝ胴《どう》の間《ま》で、一刎《ひとはね》、刎《は》ねると、其のはずみに、船も動いた。――見事な魚《うお》である。
「お嬢様!」
「鯉《こい》、鯉、あら、鯉だ。」
 と玉江が夢中で手を敲《たた》いた。
 此の大《おおい》なる鯉が、尾鰭《おひれ》を曳《
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