》なる鯉が、尾鰭《おひれ》を曳《ひ》いた、波の引返《ひっかえ》すのが棄てた棹を攫《さら》った。棹はひとりでに底知れずの方へツラツラと流れて行《ゆ》く。
九
「……太夫様……太夫様。」
偶《ふ》と紫玉は、宵闇《よいやみ》の森の下道《したみち》で真暗《まっくら》な大樹巨木の梢《こずえ》を仰いだ。……思い掛けず空から呼掛けたように聞えたのである。
「ちょっと燈《あかり》を、……」
玉野がぶら下げた料理屋の提灯《ちょうちん》を留めさせて、さし交《かわ》す枝を透かしつつ、――何事と問う玉江に、
「誰だか呼んだように思うんだがねえ。」
と言う……お師匠さんが、樹の上を視《み》ているから、
「まあ、そんな処《ところ》から。」
「そうだねえ。」
紫玉は、はじめて納得したらしく、瞳をそらす時、髷《まげ》に手を遣《や》って、釵に指を触れた。――指を触れた釵は鸚鵡《おうむ》である。
「これが呼んだのかしら。」
と微酔《ほろよい》の目元を花やかに莞爾《にっこり》すると、
「あら、お嬢様。」
「可厭《いや》ですよ。」
と仰山に二人が怯《おび》えた。女弟子の驚いたのなぞは構わないが、
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