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蓑《みの》を取って肩に装う、美しき胡蝶《こちょう》の群、ひとしく蓑に舞う。颯《さっ》と翼を開く風情す。
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それ、人間の目には、羽衣を被《き》た鶴に見える。
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ひらりと落す特、一羽の白鷹|颯《さっ》と飛んで天守に上るを、手に捕う。
――わっと云う声、地より響く――
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亀姫 お涼しい、お姉様《あねえさま》。
夫人 この鷹ならば、鞠を投げてもとりましょう。――沢山《たんと》お遊びなさいまし。
亀姫 あい。(嬉しげに袖に抱《いだ》く。そのまま、真先《まっさき》に階子《はしご》を上る。二三段、と振返りて、衝《つ》と鷹を雪の手に据うるや否や)虫が来た。
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云うとともに、袖を払って一筋の征矢《そや》をカラリと落す。矢は鷹狩の中《うち》より射掛けたるなり。
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夫人 (斉《ひと》しくともに)む。(と肩をかわし、身を捻《ひね》って背向《そがい》になる、舞台に面《おもて》を返す時、口に一条《ひとすじ》の征矢、手にまた一条の矢を取る。下より射たるを受けたるなり)推参な。
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――たちまち鉄砲の音、あまたたび――
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薄 それ、皆さん。
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侍女等、身を垣にす。
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朱の盤 姥殿、確《しっか》り。(姫を庇《かぼ》うて大手を開く。)
亀姫 大事ない、大事ない。
夫人 (打笑む)ほほほ、皆が花火線香をお焚《た》き――そうすると、鉄砲の火で、この天守が燃えると思って、吃驚《びっくり》して打たなくなるから。
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――舞台やや暗し。鉄砲の音|止《や》む――――
夫人、亀姫と声を合せて笑う、ほほほほほ。
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夫人 それ、御覧、ついでにその火で、焼けそうな処を二三|処《ヶしょ》焚《や》くが可《い》い、お亀様の路《みち》の松明《たいまつ》にしようから。
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舞台暗し。
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亀姫 お心づくしお嬉しや。さらば。
夫人 さらばや。
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寂寞《せきばく》、やがて燈火《ともしび》の影に、うつくしき夫人の姿。舞台にただ一人のみ見ゆ。夫人うしろむきにて、獅子頭に対し、机に向い巻ものを読みつつあり。間《ま》を置き、女郎花、清らかなる小掻巻《こがいまき》を持ち出で、静《しずか》に夫人の背《せな》に置き、手をつかえて、のち去る。――
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ここはどこの細道じゃ、細道じゃ。
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
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舞台一方の片隅に、下の四重に通ずべき階子《はしご》の口あり。その口より、まず一《ひとつ》の雪洞《ぼんぼり》顕《あらわ》れ、一廻りあたりを照す。やがて衝《つ》と翳《かざ》すとともに、美丈夫、秀でたる眉に勇壮の気満つ。黒羽二重の紋着《もんつき》、萌黄《もえぎ》の袴《はかま》、臘鞘《ろざや》の大小にて、姫川|図書之助《ずしょのすけ》登場。唄をききつつ低徊《ていかい》し、天井を仰ぎ、廻廊を窺《うかが》い、やがて燈《ともしび》の影を視《み》て、やや驚く。ついで几帳《きちょう》を認む。彼が入《い》るべき方《かた》に几帳を立つ。図書は躊躇《ちゅうちょ》の後決然として進む。瞳《ひとみ》を定めて、夫人の姿を認む。剣夾《つか》に手を掛け、気構えたるが、じりじりと退《さが》る。
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夫人 (間)誰。
図書 はっ。(と思わず膝を支《つ》く)某《それがし》。
夫人 (面《おもて》のみ振向く、――無言。)
図書 私《わたくし》は、当城の大守に仕うる、武士の一人《いちにん》でございます。
夫人 何しに見えた。
図書 百年以来、二重三重までは格別、当お天守五重までは、生《しょう》あるものの参った例《ためし》はありませぬ。今宵、大殿の仰せに依って、私《わたくし》、見届けに参りました。
夫人 それだけの事か。
図書 且つまた、大殿様、御秘蔵の、日本一の鷹がそれまして、お天守のこのあたりへ隠れました。行方を求めよとの御意でございます。
夫人 翼あるものは、人間ほど不自由ではない。千里、五百里、勝手な処へ飛ぶ、とお言いなさるが可《よ》い。――用はそれだけか。
図書 別に余の儀は承りませぬ。
夫人 五重に参って、見届けた上、いかが計らえとも言われなかったか。
図書 いや、承りませぬ。
夫人 そして、お前も、こう見届けた上に、どうしようとも思いませぬか。
図書 お天守は、殿様のものでございます。いかなる事がありましょうとも、私《わたくし》一存にて、何と計らおうとも決して存じませぬ。
夫人 お待ち。この天守は私のものだよ。
図書 それは、貴方《あなた》のものかも知れませぬ。また殿様は殿様で、御自分のものだと御意遊ばすかも知れませぬ。しかし、いずれにいたせ、私《わたくし》のものでないことは確《たしか》でございます。自分のものでないものを、殿様の仰せも待たずに、どうしようとも思いませぬ。
夫人 すずしい言葉だね、その心なれば、ここを無事で帰られよう。私も無事に帰してあげます。
図書 冥加《みょうが》に存じます。
夫人 今度は、播磨が申しきけても、決して来てはなりません。ここは人間の来る処ではないのだから。――また誰も参らぬように。
図書 いや、私《わたくし》が参らぬ以上は、五十万石の御家中、誰一人参りますものはございますまい。皆|生命《いのち》が大切でございますから。
夫人 お前は、そして、生命は欲しゅうなかったのか。
図書 私《わたくし》は、仔細《しさい》あって、殿様の御不興を受け、お目通《めどおり》を遠ざけられ閉門の処、誰もお天守へ上《あが》りますものがないために、急にお呼出しでございました。その御上使は、実は私《わたくし》に切腹仰せつけの処を、急に御模様がえになったのでございます。
夫人 では、この役目が済めば、切腹は許されますか。
図書 そのお約束でございました。
夫人 人の生死《いきしに》は構いませんが、切腹はさしたくない。私は武士の切腹は嫌いだから。しかし、思い掛《がけ》なく、お前の生命《いのち》を助けました。……悪い事ではない。今夜はいい夜《よ》だ。それではお帰り。
図書 姫君。
夫人 まだ、居ますか。
図書 は、恐入ったる次第ではございますが、御姿を見ました事を、主人に申まして差支えはございませんか。
夫人 確《たしか》にお言いなさいまし。留守でなければ、いつでも居るから。
図書 武士の面目に存じます――御免。
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雪洞《ぼんぼり》を取って静《しずか》に退座す。夫人|長煙管《ながぎせる》を取って、払《はた》く音に、図書板敷にて一度|留《とど》まり、直ちに階子《はしご》の口にて、燈《ともしび》を下に、壇に隠る。
鐘の音。
時に一体の大入道、面《つら》も法衣《ころも》も真黒《まっくろ》なるが、もの陰より甍《いらか》を渡り梢《こずえ》を伝うがごとくにして、舞台の片隅を伝い行《ゆ》き、花道なる切穴の口に踞《うずく》まる。
鐘の音。
図書、その切穴より立顕《たちあらわ》る。
夫人すっと座を立ち、正面、鼓の緒の欄干に立ち熟《じっ》と視《み》る時、図書、雪洞を翳《かざ》して高く天守を見返す、トタンに大入道さし覗《のぞ》きざまに雪洞をふっと消す。図書|身構《みがまえ》す。大入道、大手を拡げてその前途《ゆくて》を遮る。
鐘の音。
侍女等、凜々《りり》しき扮装《いでたち》、揚幕より、懐剣、薙刀《なぎなた》を構えて出づ。図書扇子を抜持ち、大入道を払い、懐剣に身を躱《かわ》し、薙刀と丁《ちょう》と合わす。かくて一同を追込み、揚幕際に扇を揚げ、屹《きっ》と天守を仰ぐ。
鐘の音。
夫人、従容《しょうよう》として座に返る。図書、手探りつつもとの切穴を捜《さぐ》る。(間)その切穴に没す。しばらくして舞台なる以前の階子の口より出づ。猶予《ためら》わず夫人に近づき、手をつく。
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夫人 (先んじて声を掛く。穏《おだやか》に)また見えたか。
図書 はっ、夜陰と申し、再度|御左右《おそう》を騒がせ、まことに恐入りました。
夫人 何しに来ました。
図書 御天守の三階中壇まで戻りますと、鳶《とび》ばかり大《おおき》さの、野衾《のぶすま》かと存じます、大蝙蝠《おおこうもり》の黒い翼に、燈《ともしび》を煽《あお》ぎ消されまして、いかにとも、進退度を失いましたにより、灯を頂きに参りました。
夫人 ただそれだけの事に。……二度とおいででないと申した、私の言葉を忘れましたか。
図書 針ばかり片割月《かたわれづき》の影もささず、下に向えば真の暗黒《やみ》。男が、足を踏みはずし、壇を転がり落ちまして、不具《かたわ》になどなりましては、生効《いきがい》もないと存じます。上を見れば五重のここより、幽《かすか》にお燈《あかり》がさしました。お咎《とが》めをもって生命をめさりょうとも、男といたし、階子から落ちて怪我《けが》をするよりはと存じ、御戒《おんいましめ》をも憚《はばか》らず推参いたしてございます。
夫人 (莞爾《にっこり》と笑む)ああ、爽《さわや》かなお心、そして、貴方はお勇《いさま》しい。燈《あかり》を点《つ》けて上げましょうね。(座を寄す。)
図書 いや、お手ずからは恐多い。私《わたくし》が。
夫人 いえいえ、この燈《ともしび》は、明星、北斗星、竜の燈、玉の光もおなじこと、お前の手では、蝋燭《ろうそく》には点《つ》きません。
図書 ははッ。(瞳を凝《こら》す。)
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夫人、世話めかしく、雪洞《ぼんぼり》の蝋を抜き、短檠《たんけい》の灯を移す。燭《しょく》をとって、熟《じっ》と図書の面《おもて》を視《み》る、恍惚《うっとり》とす。
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夫人 (蝋燭を手にしたるまま)帰したくなくなった、もう帰すまいと私は思う。
図書 ええ。
夫人 貴方は、播磨が貴方に、切腹を申しつけたと言いました。それは何の罪でございます。
図書 私《わたくし》が拳《こぶし》に据えました、殿様が日本一とて御秘蔵の、白い鷹を、このお天守へ逸《そら》しました、その越度《おちど》、その罪過でございます。
夫人 何、鷹をそらした、その越度、その罪過、ああ人間というものは不思議な咎《とが》を被《おお》せるものだね。その鷹は貴方が勝手に鳥に合せたのではありますまい。天守の棟に、世にも美しい鳥を視《み》て、それが欲しさに、播磨守が、自分で貴方にいいつけて、勝手に自分でそらしたものを、貴方の罪にしますのかい。
図書 主《しゅう》と家来でございます。仰せのまま生命《いのち》をさし出しますのが臣たる道でございます。
夫人 その道は曲っていましょう。間違ったいいつけに従うのは、主人に間違った道を踏ませるのではありませんか。
図書 けれども、鷹がそれました。
夫人 ああ、主従とかは可恐《おそろ》しい。鷹とあの人間の生命《いのち》とを取《とり》かえるのでございますか。よしそれも、貴方が、貴方の過失《あやまち》なら、君と臣というもののそれが道なら仕方がない。けれども、播磨がさしずなら、それは播磨の過失というもの。第一、鷹を失ったのは、貴方ではありません。あれは私が取りました。
図書 やあ、貴方が。
夫人 まことに。
図書 ええ、お怨《うら》み申上ぐる。(刀に手を掛く。)
夫人 鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽
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