天守物語
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)廻廊下《まわりろうか》
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(例)欄干|外《そと》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》す
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時 不詳。ただし封建時代――晩秋。日没前より深更にいたる。
所 播州姫路。白鷺城の天守、第五重。
登場人物
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天守夫人、富姫。(打見は二十七八)岩代国猪苗代、亀の城、亀姫。(二十ばかり)姫川図書之助。(わかき鷹匠)小田原修理。山隅九平。(ともに姫路城主武田播磨守家臣)十文字ヶ原、朱の盤坊。茅野ヶ原の舌長姥。(ともに亀姫の眷属)近江之丞桃六。(工人)桔梗。萩。葛。女郎花。撫子。(いずれも富姫の侍女)薄。(おなじく奥女中)女の童、禿、五人。武士、討手、大勢。
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舞台。天守の五重。左右に柱、向って三方を廻廊下《まわりろうか》のごとく余して、一面に高く高麗《こうらい》べりの畳を敷く。紅《くれない》の鼓の緒、処々に蝶結びして一条《ひとすじ》、これを欄干のごとく取りまわして柱に渡す。おなじ鼓の緒のひかえづなにて、向って右、廻廊の奥に階子《はしご》を設く。階子は天井に高く通ず。左の方《かた》廻廊の奥に、また階子の上下の口あり。奥の正面、及び右なる廻廊の半ばより厚き壁にて、広き矢狭間《やざま》、狭間《はざま》を設く。外面は山岳の遠見《とおみ》、秋の雲。壁に出入りの扉あり。鼓の緒の欄干|外《そと》、左の一方、棟甍《むながわら》、並びに樹立《こだち》の梢《こずえ》を見す。正面おなじく森々《しんしん》たる樹木の梢。
女童《めのわらわ》三人――合唱――
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ここはどこの細道じゃ、細道じゃ、
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
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――うたいつつ幕|開《あ》く――
侍女五人。桔梗《ききょう》、女郎花《おみなえし》、萩《はぎ》、葛《くず》、撫子《なでしこ》。各《おのおの》名にそぐえる姿、鼓の緒の欄干に、あるいは立ち、あるいは坐《い》て、手に手に五色《ごしき》の絹糸を巻きたる糸枠に、金色《きんしょく》銀色の細き棹《さお》を通し、糸を松杉の高き梢を潜《くぐ》らして、釣《つり》の姿す。
女童三人は、緋《ひ》のきつけ、唄いつづく。――冴《さ》えて且つ寂しき声。
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少し通して下さんせ、下さんせ。
ごようのないもな通しません、通しません。
天神様へ願掛けに、願掛けに。
通らんせ、通らんせ。
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唄いつつその遊戯をす。
薄《すすき》、天守の壁の裡《うち》より出づ。壁の一|劃《かく》はあたかも扉のごとく、自由に開く、この婦《おんな》やや年かさ。鼈甲《べっこう》の突通し、御殿奥女中のこしらえ。
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薄 鬼灯《ほおずき》さん、蜻蛉《とんぼ》さん。
女童一 ああい。
薄 静《しずか》になさいよ、お掃除が済んだばかりだから。
女童二 あの、釣を見ましょうね。
女童三 そうね。
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いたいけに頷《うなず》きあいつつ、侍女等の中に、はらはらと袖を交《まじ》う。
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薄 (四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》す)これは、まあ、まことに、いい見晴しでございますね。
葛 あの、猪苗代《いなわしろ》のお姫様がお遊びにおいででございますから。
桔梗 お鬱陶《うっと》しかろうと思いまして。それには、申分のございませんお日和でございますし、遠山はもう、もみじいたしましたから。
女郎花 矢狭間も、物見も、お目触りな、泥や、鉄の、重くるしい、外囲《そとがこい》は、ちょっと取払っておきました。
薄 成程、成程、よくおなまけ遊ばす方たちにしては、感心にお気のつきましたことでございます。
桔梗 あれ、人ぎきの悪いことを。――いつ私たちがなまけましたえ。
薄 まあ、そうお言いの口の下で、何をしておいでだろう。二階から目薬とやらではあるまいし、お天守の五重から釣をするものがありますかえ。天の川は芝を流れはいたしません。富姫様が、よそへお出掛け遊ばして、いくら間《ひま》があると申したって、串戯《じょうだん》ではありません。
撫子 いえ、魚を釣るのではございません。
桔梗 旦那様の御前《おまえ》に、ちょうど活《い》けるのがございませんから、皆《みんな》で取って差上げようと存じまして、花を……あの、秋草を釣りますのでございますよ。
薄 花を、秋草をえ。はて、これは珍しいことを承ります。そして何かい、釣れますかえ。
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女童《めのわらわ》の一人の肩に、袖でつかまって差覗《さしのぞ》く。
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桔梗 ええ、釣れますとも、もっとも、新発明でございます。
薄 高慢なことをお言いでない。――が、つきましては、念のために伺いますが、お用いになります。……餌《えさ》の儀でござんすがね。
撫子 はい、それは白露でございますわ。
葛 千草八千草秋草が、それはそれは、今頃は、露を沢山《たんと》欲しがるのでございますよ。刻限も七つ時、まだ夕露も夜露もないのでございますもの。(隣を視《み》る)御覧なさいまし、女郎花さんは、もう、あんなにお釣りなさいました。
薄 ああ、ほんにねえ。まったく草花が釣れるとなれば、さて、これは静《しずか》にして拝見をいたしましょう。釣をするのに饒舌《しゃべ》っては悪いと云うから。……一番《いっち》だまっておとなしい女郎花さんがよく釣った、争われないものじゃないかね。
女郎花 いいえ、お魚とは違いますから、声を出しても、唄いましても構いません。――ただ、風が騒ぐと下可《いけ》ませんわ。……餌の露が、ぱらぱらこぼれてしまいますから。ああ、釣れました。
薄 お見事。
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と云う時、女郎花、棹《さお》ながらくるくると枠を巻戻す、糸につれて秋草、欄干に上り来《きた》る。さきに傍《かたわら》に置きたる花とともに、女童の手に渡す。
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桔梗 釣れました。(おなじく糸を巻戻す。)
萩 あれ、私も……
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花につれて、黄と、白、紫の胡蝶《こちょう》の群《むれ》、ひらひらと舞上る。
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葛 それそれ私も――まあ、しおらしい。
薄 桔梗さん、棹をお貸しな、私も釣ろう、まことに感心、おつだことねえ。
女郎花 お待ち遊ばせ、大層風が出て参りました、餌が糸にとまりますまい。
薄 意地の悪い、急に激しい風になったよ。
萩 ああ、内廓《うちぐるわ》の秋草が、美しい波を打ちます。
桔梗 そう云ううちに、色もかくれて、薄《すすき》ばかりが真白《まっしろ》に、水のように流れて来ました。
葛 空は黒雲《くろくも》が走りますよ。
薄 先刻《さっき》から、野も山も、不思議に暗いと思っていた、これは酷《ひど》い降りになりますね。
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舞台暗くなる、電光|閃《ひらめ》く。
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撫子 夫人《おくさま》は、どこへおいで遊ばしたのでございますえ。早くお帰り遊ばせば可《よ》うございますね。
薄 平時《いつも》のように、どこへとも何ともおっしゃらないで、ふいとお出ましになったもの。
萩 お迎いにも参られませんねえ。
薄 お客様、亀姫様のおいでの時刻を、それでも御含みでいらっしゃるから、ほどなくお帰りでござんしょう。――皆さんが、御心入れの御馳走《ごちそう》、何、秋草を、早くお供えなさるが可《よ》いね。
女郎花 それこそ露の散らぬ間《ま》に。――
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正面奥の中央、丸柱の傍《かたわら》に鎧櫃《よろいびつ》を据えて、上に、金色《こんじき》の眼《まなこ》、白銀《しろがね》の牙《きば》、色は藍《あい》のごとき獅子頭《ししがしら》、萌黄錦《もえぎにしき》の母衣《ほろ》、朱の渦まきたる尾を装いたるまま、荘重にこれを据えたり。
――侍女等、女童とともにその前に行《ゆ》き、跪《ひざまず》きて、手に手に秋草を花籠に挿す。色のその美しき蝶の群、斉《ひとし》く飛連れてあたりに舞う。雷《らい》やや聞ゆ。雨|来《きた》る。
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薄 (薄暗き中に)御覧、両眼|赫燿《かくよう》と、牙も動くように見えること。
桔梗 花も胡蝶《ちょう》もお気に入って、お嬉しいんでございましょう。
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時に閃電《せんでん》す。光の裡《うち》を、衝《つ》と流れて、胡蝶《こちょう》の彼処《かしこ》に流るる処、ほとんど天井を貫きたる高き天守の棟に通ずる階子《はしご》。――侍女等、飛ぶ蝶の行方につれて、ともに其方《そなた》に目を注ぐ。
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女郎花 あれ、夫人《おくさま》がお帰りでございますよ。
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はらはらとその壇の許《もと》に、振袖、詰袖、揃って手をつく。階子の上より、まず水色の衣《きぬ》の褄《つま》、裳《もすそ》を引く。すぐに蓑《みの》を被《かつ》ぎたる姿見ゆ。長《たけ》なす黒髪、片手に竹笠、半ば面《おもて》を蔽《おお》いたる、美しく気高き貴女《きじょ》、天守夫人、富姫。
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夫人 (その姿に舞い縋《すが》る蝶々の三つ二つを、蓑を開いて片袖に受く)出迎えかい、御苦労だね。(蝶に云う。)
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――お帰り遊ばせ、――お帰り遊ばせ――侍女等、口々に言迎う。――
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夫人 時々、ふいと気まかせに、野分《のわき》のような出歩行《である》きを、……
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ハタと竹笠を落す。女郎花、これを受け取る。貴女の面《おもて》、凄《すご》きばかり白く※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]長《ろうた》けたり。
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露も散らさぬお前たち、花の姿に気の毒だね。(下りかかりて壇に弱腰、廊下に裳《もすそ》。)
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薄 勿体《もったい》ないことを御意遊ばす。――まあ、お前様、あんなものを召しまして。
夫人 似合ったかい。
薄 なおその上に、御前様《ごぜんさま》、お痩《や》せ遊ばしておがまれます。柳よりもお優しい、すらすらと雨の刈萱《かるかや》を、お被《か》け遊ばしたようにござります。
夫人 嘘ばっかり。小山田の、案山子《かかし》に借りて来たのだものを。
薄 いいえ、それでも貴女《あなた》がめしますと、玉、白銀《しろがね》、揺《ゆるぎ》の糸の、鎧《よろい》のようにもおがまれます。
夫人 賞《ほ》められてちっと重くなった。(蓑を脱ぐ)取っておくれ。
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撫子、立ち、うけて欄干にひらりと掛く。
蝶の数、その蓑に翼を憩う。……夫人、獅子頭に会釈しつつ、座に、褥《しとね》に着く。脇息《きょうそく》。
侍女たちかしずく。
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少し草臥《くたび》れましたよ。……お亀様はまだお見えではなかったろうね。
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薄 はい、お姫様《ひいさま》は、やがてお入《い》りでござりましょう
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