に一人、あら切抜けた、図書様がお天守に遁込《にげこ》みました。追掛けますよ。槍《やり》まで持出した。(欄干をするすると)図書様が、二重へ駈上《かけあが》っておいでなさいます。大勢が追詰めて。
夫人 (片膝立つ)可《よ》し、お手伝い申せ。
薄 お腰元衆、お腰元衆。――(呼びつつ忙《せわ》しく階子《はしご》を下り行く。)
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夫人、片手を掛けつつ几帳越に階子の方を瞰下《みおろ》す。
――や、や、や、――激しき人声、もの音、足蹈《あしぶみ》。――
図書、もとどりを放ち、衣服に血を浴ぶ。刀を振《ふる》って階子の口に、一度|屹《きつ》と下を見込む。肩に波打ち、はっと息して※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》となる。
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夫人 図書様。
図書 (心づき、蹌踉《よろよろ》と、且つ呼吸《いき》せいて急いで寄る)姫君、お言葉をも顧みず、三度の推参をお許し下さい。私《わたくし》を賊……賊……謀逆人《むほんにん》、逆賊と申して。
夫人 よく存じておりますよ。昨日今日、今までも、お互に友と呼んだ人たちが、いかに殿の仰せとて、手の裏を反《かえ》すように、ようまあ、あなたに刃《やいば》を向けます。
図書 はい、微塵《みじん》も知らない罪のために、人間同志に殺されましては、おなじ人間、断念《あきら》められない。貴女《あなた》のお手に掛《かか》ります。――御禁制《ごきんぜい》を破りました、御約束を背きました、その罪に伏します。速《すみやか》に生命《いのち》をお取り下されたい。
夫人 ええ、武士《さむらい》たちの夥間《なかま》ならば、貴方のお生命を取りましょう。私と一所には、いつまでもお活きなさいまし。
図書 (急《せ》きつつ)お情《なさけ》余る、お言葉ながら、活きようとて、討手の奴儕《やつばら》、決して活かしておきません。早くお手に掛け下さいまし。貴女に生命を取らるれば、もうこの上のない本望、彼等に討たるるのは口惜《くちおし》い。(夫人の膝に手を掛く)さ、生命《いのち》を、生命を――こう云う中《うち》にも取詰めて参ります。
夫人 いいえ、ここまでは来ますまい。
図書 五重の、その壇、その階子を、鼠のごとく、上《あが》りつ下りついたしおる。……かねての風説、鬼神《おにがみ》より、魔よりも、ここを
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