と笑む)ああ、爽《さわや》かなお心、そして、貴方はお勇《いさま》しい。燈《あかり》を点《つ》けて上げましょうね。(座を寄す。)
図書 いや、お手ずからは恐多い。私《わたくし》が。
夫人 いえいえ、この燈《ともしび》は、明星、北斗星、竜の燈、玉の光もおなじこと、お前の手では、蝋燭《ろうそく》には点《つ》きません。
図書 ははッ。(瞳を凝《こら》す。)
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夫人、世話めかしく、雪洞《ぼんぼり》の蝋を抜き、短檠《たんけい》の灯を移す。燭《しょく》をとって、熟《じっ》と図書の面《おもて》を視《み》る、恍惚《うっとり》とす。
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夫人 (蝋燭を手にしたるまま)帰したくなくなった、もう帰すまいと私は思う。
図書 ええ。
夫人 貴方は、播磨が貴方に、切腹を申しつけたと言いました。それは何の罪でございます。
図書 私《わたくし》が拳《こぶし》に据えました、殿様が日本一とて御秘蔵の、白い鷹を、このお天守へ逸《そら》しました、その越度《おちど》、その罪過でございます。
夫人 何、鷹をそらした、その越度、その罪過、ああ人間というものは不思議な咎《とが》を被《おお》せるものだね。その鷹は貴方が勝手に鳥に合せたのではありますまい。天守の棟に、世にも美しい鳥を視《み》て、それが欲しさに、播磨守が、自分で貴方にいいつけて、勝手に自分でそらしたものを、貴方の罪にしますのかい。
図書 主《しゅう》と家来でございます。仰せのまま生命《いのち》をさし出しますのが臣たる道でございます。
夫人 その道は曲っていましょう。間違ったいいつけに従うのは、主人に間違った道を踏ませるのではありませんか。
図書 けれども、鷹がそれました。
夫人 ああ、主従とかは可恐《おそろ》しい。鷹とあの人間の生命《いのち》とを取《とり》かえるのでございますか。よしそれも、貴方が、貴方の過失《あやまち》なら、君と臣というもののそれが道なら仕方がない。けれども、播磨がさしずなら、それは播磨の過失というもの。第一、鷹を失ったのは、貴方ではありません。あれは私が取りました。
図書 やあ、貴方が。
夫人 まことに。
図書 ええ、お怨《うら》み申上ぐる。(刀に手を掛く。)
夫人 鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽
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