《ひざまず》いて塵《ちり》を払ひくれる者もあつた。
銃をも、引上げて身に立てかけてよこしたのを、弱々《よわよわ》と取つて提《ひっさ》げて、胸を抱いて見返ると、縞《しま》の膝を此方《こなた》にずらして、紅《くれない》の衣《きぬ》の裏、ほのかに男を見送つて、分《わかれ》を惜《おし》むやうであつた。
桂木は倒れようとしたが、踵《くびす》をめぐらし、衝《つ》と背後向《うしろむき》になつた、霧の中から大きな顔を出したのは、逞《たくま》しい馬で。
これを片手で、かい退《の》けて、それから足を早めたが、霧が包んで、蹄《ひづめ》の音、とゞろ/\と、送るか、追ふか、彼《か》の停車場《ステエション》のあたりまで、四|間《けん》ばかり間《あわい》を置いてついて来た。
来た時のやうに立停《たちどま》つて又、噫《ああ》、妖魔にもせよ、と身を棄《す》てて一所《いっしょ》に殺されようかと思つた。途端に騎馬が引返《ひきかえ》した。其の間《あわい》遠ざかるほど、人数《にんず》を増《ま》して、次第に百騎、三百騎、果《はて》は空吹く風にも聞え、沖を大浪《おおなみ》の渡るにも紛《まご》うて、ど、ど、ど、ど、どツと野末《のずえ》へ引いて、やがて山々へ、木精《こだま》に響いたと思ふと止《や》んだ。
最早、天地、処《ところ》を隔《へだ》つたやうだから、其のまゝ、銃孔《じゅうこう》を高くキラリと揺《ゆ》り上げた、星|一《ひと》ツ寒く輝く下に、路《みち》も迷はず、夜《よる》になり行く狭霧《さぎり》の中を、台場《だいば》に抜けると点燈頃《ひともしごろ》。
山家《やまが》の茶屋の店さきへ倒れたが、火の赫《かっ》と起つた、囲炉裡《いろり》に鉄網《てつあみ》をかけて、亭主、女房、小児《こども》まじりに、餅《もち》を焼いて居る、此の匂《におい》をかぐと、何《ど》ういふものか桂木は人間界へ蘇生《よみがえ》つたやうな心持《こころもち》がしたのである。
汽車がついたと見えて、此処《ここ》まで聞ゆるは、のんきな声、お弁当は宜《よろ》し、お鮨《すし》はいかゞ。……
底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
1940(昭和15)年発行
初出:「新小説」
1903(明治36)年1月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2009年5月10日作成
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