紫《うすむらさき》に変じながら、言はじと誓ふ口を結んで、然《しか》も惚々《ほれぼれ》と、男の顔を見詰《みつむ》るのがちらついたが、今は恁《こ》うと、一度踏みこたへてずり外《はず》した、裳《もすそ》は長く草に煽《あお》つて、あはれ、口許《くちもと》の笑《えみ》も消えんとするに、桂木は最《も》うあるにもあられず、片膝《かたひざ》屹《きっ》と立てて、銃を掻取《かいと》る、袖《そで》を圧《おさ》へて、
「密《そっ》と、密と、密と。」
低声《こごえ》に畳《たた》みかけて媼《おうな》が制した。
譬《たと》ひ此の弾丸山を砕いて粉《こ》にするまでも、四辺《しへん》の光景|単身《みひとつ》で敵《てき》し難《がた》きを知らぬでないから、桂木は呼吸《いき》を引いて、力なく媼の胸に潜《ひそ》んだが。
其時《そのとき》最後の痛苦の絶叫、と見ると、苛《さいな》まるゝ婦人《おんな》の下着、樹の枝に届くまで、すツくりと立つたので、我を忘れて突立《つった》ち上《あが》ると、彼方《かなた》はハタと又|僵《たお》れた、今は皮《かわ》や破れけん、枯草《かれくさ》の白き上へ、垂々《たらたら》と血が流れた。
「此処《ここ》に居る。」と半狂乱、桂木はつゝと出た。
「や、」「や、」と声をかけ合せると、早《は》や、我が身体《からだ》は宙に釣《つ》られて、庭の土に沈むまで、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》とばかり。
桂木は投落《なげおと》されて横になつたが、死を極《きわ》めて起返《おきかえ》るより先に、これを見たか婦人の念力、袖《そで》の折《おり》目の正しきまで、下着は起きて、何となく、我を見詰《みつ》むる風情《ふぜい》である。
「静まれ、無体《むたい》なことを為《し》申《もう》す勿《な》。」
姿は見えぬが巨人の声にて、
「客人《きゃくじん》何も謂《い》はぬ。
唯《ただ》御身達《おみたち》のやうなものは、活《い》けて置かぬが夥間《なかま》の掟《おきて》だ。」
桂木は舌しゞまりて、
「…………」ものも言はれず。
「斬《き》つ了《ちま》へ! 眷属等《けんぞくども》。」
きらり/\と四振《よふり》の太刀《たち》、二刀《ふたふり》づゝを斜《ななめ》に組んで、彼方《かなた》の顋《あぎと》と、此方《こなた》の胸、カチリと鳴つて、ぴたりと合せた。
桂木は切尖《きっさき》を咽喉《のど》に、剣《つるぎ》の峰からあはれなる顔を出して、うろ/\媼《おうな》を求めたが、其の言《ことば》に従はず、故《ことさ》らに死地《しち》に就《つ》いたを憎んだか、最《も》う影も形も見えず、推量と多く違《たが》はず、家も床《ゆか》も疾《とく》に消えて、唯《ただ》枯野《かれの》の霧の黄昏《たそがれ》に、露《つゆ》の命の男女《ふたり》也《なり》。目を瞑《ねむ》ると、声を掛け、
「しかし客人、死を惜《おし》む者は殺さぬが又|掟《おきて》だ、予《あらかじ》め聞かう、主《ぬし》ある者と恋を為遂《しと》げるため、死を覚悟か。」
稍《やや》激しく。
「婦人《おんな》は?」
「はい。」と呼吸《いき》の下で答へたが、頷《うなず》くやうにして頭《つむり》を垂れた。
「可《よ》し。」
改めて、
「御身《おんみ》は。」
諾《だく》と答へようとした、謂《い》ふまでもない、此《この》美人は譬《たと》ひ今は世に亡《な》き人にもせよ、正《まさ》に自分の恋人に似て居るから。
けれども、譬《たと》ひ今は世に亡き人にもせよ、正に自分の恋人であればだけれども、可怪《おかし》、枯野《かれの》の妖魔が振舞《ふるまい》、我とともに死なんといふもの、恐らく案山子《かかし》を剥《は》いだ古蓑《ふるみの》の、徒《いたずら》に風に煽《あお》るに過ぎぬも知れないと思つたから、おもはゆげに頭《かしら》を掉《ふ》つた。
「殿、不実な男であります、婦人《おんな》は覚悟をしましたに、生命《いのち》を助かりたいとは、あきれ果てた未練者《みれんもの》、目の前でずた/\に婦人《おんな》を殺して見せつけてくれませう。」
「待て。」
「は。」
「客人が、世を果敢《はかな》んで居るうちは、我々の自由であるが、一度《ひとたび》心を入交《いれか》へて、恁《かか》る処《ところ》へ来るなどといふ、無分別《むふんべつ》さへ出さぬに於ては、神仏《しんぶつ》おはします、父君《ちちぎみ》、母君《ははぎみ》おはします洛陽《らくよう》の貴公子、むざとしては却《かえ》つて冥罰《みょうばつ》が恐《おそろ》しい。婦人《おんな》は斬《き》れ! 然《しか》し客人は丁寧にお帰し申せ。」
「は。」と再び答へると、何か知らず、桂木の両手を取つて、優しく扶《たす》け起したものがある、其が身に接した時、湿つた木《こ》の葉《は》の薫《かおり》がした。
腰のあたり、膝《ひざ》のあたり、跪
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