法づかひだ、主殺《しゅころ》しと、可哀相に、此の原で磔《はりつけ》にしたとかいふ。
日本一《にっぽんいち》の無法な奴等《やつら》、かた/″\殿様のお伽《とぎ》なればと言つて、綾錦《あやにしき》の粧《よそおい》をさせ、白足袋《しろたび》まで穿《は》かせた上、犠牲《いけにえ》に上げたとやら。
南無三宝《なむさんぼう》、此の柱へ血が垂れるのが序開《じょびら》きかと、其《その》十字の里程標の白骨《はっこつ》のやうなのを見て居る中《うち》に、凭《よっ》かゝつて居た停車場《ステエション》の朽《く》ちた柱が、風もないに、身体《からだ》の圧《おし》で動くから、鉄砲を取直《とりなお》しながら後退《あとじさ》りに其処《そこ》を出た。
雨は其の時から降り出して、それからの難儀さ。小糠雨《こぬかあめ》の細《こまか》いのが、衣服《きもの》の上から毛穴を徹《とお》して、骨に染《し》むやうで、天窓《あたま》は重くなる、草鞋《わらじ》は切れる、疲労《つかれ》は出る、雫《しずく》は垂《た》る、あゝ、新しい筵《むしろ》があつたら、棺《かん》の中へでも寝たいと思つた、其で此の家を見つけたんだもの、何の考へもなしに駈《か》け込んだが、一呼吸《ひといき》して見ると、何《ど》うだらう。」
炉の火はパツと炎尖《ほさき》を立てて、赤く媼《おうな》の額《ひたい》を射《い》た、瞻《みまも》らるゝは白髪《しらが》である、其皺《そのしわ》である、目鼻立《めはなだち》である、手の動くのである、糸車の廻るのである。
恁《か》くても依然として胸を折つて、唯《ただ》糸に操《あやつ》らるゝ如き、媼の状《さま》を見るにつけても、桂木は膝《ひざ》を立てて屹《きっ》となつた。
「失礼だが、お媼《ばあ》さん、場所は場所だし、末枯《うらがれ》だし、雨は降る、普通《ただ》ものとは思へないぢやないか。霧が雲がと押問答《おしもんどう》、謎《なぞ》のかけツこ見たやうなことをして居るのは、最《も》う焦《じ》れつたくつて我慢が出来ぬ。そんなまだるつこい、気の滅入《めい》る、糸車なんざ横倒しにして、面白いことを聞かしておくれ。
それとも人が来たのが煩《うるさ》くツて、癪《しゃく》に障《さわ》つたら、さあ、手取り早く何《ど》うにかするんだ、牙《きば》にかけるなり、炎を吐《は》くなり、然《そ》うすりや叶《かな》はないまでも抵抗《てむかい》しよう、善にも悪にも恁《こ》うして居ちや、じり/\して胸が苦しい、じみ/\雨で弱らせるのは、第一|何《なに》にしろ卑怯の到《いた》りだ、さあ、さあ、人間でさいなくなりや、其を合図で勝負にしよう、」と微笑を泛《うか》べて串戯《じょうだん》らしく、身悶《みもだえ》をして迫りながら、桂木の瞳《ひとみ》は据《すわ》つた。
血気《けっき》に逸《はや》る少年の、其の無邪気さを愛する如く、離れては居るが顔と顔、媼は嘗《な》めるやうにして、しよぼ/\と目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》き、
「お客様もう降つて居《い》はせぬがなう。」
桂木|一驚《いっきょう》を喫《きっ》して、
「や何時《いつ》の間《ま》に、」
七
「炉の中の荊《いばら》の葉が、かち/\と鳴つて燃えると、雨は上るわいなう。」
いかにも拭《ぬぐ》つたやうに野面《のづら》一面。媼《おうな》の頭《つむり》は白さを増したが、桂木の膝《ひざ》のあたりに薄日《うすび》が射《さ》した、但《ただ》件《くだん》の停車場《ステエション》に磁石を向けると、一直線の北に当る、日金山《ひがねやま》、鶴巻山《つるまきやま》、十国峠《じっこくとうげ》を頂いた、三島の連山の裾《すそ》が直《ただち》に枯草《かれくさ》に交《まじわ》るあたり、一帯の霧が細流《せせらぎ》のやうに靉靆《たなび》いて、空も野も幻の中に、一際《ひときわ》濃《こま》やかに残るのである。
あはれ座右《ざう》のポネヒル一度《ひとたび》声を発するを、彼処《かしこ》に人ありて遙《はるか》に見よ、此処《ここ》に恰《あたか》も其の霧の如く、怪しき煙が立たうもの、
と、桂木は心も勇《いさ》んで、
「むゝ、雨は歇《や》んだ、けれどもお媼《ばあ》さんの姿は未《ま》だ矢張《やっぱり》人間だよ。」と物狂《ものくる》はしく固唾《かたず》を飲んだ。
此の時媼、呵々《からから》と達者《たっしゃ》に笑ひ、
「はゝはゝ、お客様も余程のお方ぢやなう、しつかりさつしやれ、気分が悪いのでござろ。なるほど石ころ一つ、草の葉にまで、心を置いたと謂《い》はつしやるにつけ、何《ど》うかしてござらうに、まづまづ、横にでもなつて気を落着けるが可《よ》いわいなう、それぢやが、私《わし》を早《は》や矢張《やっぱり》怪しいものぢやと思うてござつては、何とも安堵《あんど》出来|悪《にく》かろ
前へ
次へ
全14ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング