《ひとり》。」
 折から炉の底にしよんぼりとする、掬《すく》ふやうにして手づから燻《いぶ》した落葉の中に二枚《ふたひら》ばかり荊《いばら》の葉の太《いた》く湿つたのがいぶり出した、胸のあたりへ煙が弱く、いつも勢《いきおい》よくは焚《た》かぬさうで冷《つめた》い灰を、舐《な》めるやうにして、一《ひと》ツ蜒《うね》つて這《は》ひ上《あが》るのを、肩で乱して払ひながら、
「煙《けむ》い。其までは宛然《まるで》恁《こ》う、身体《からだ》へ絡《まつわ》つて、肩を包むやうにして、侍女《こしもと》の手だの、袖だの、裾《すそ》だの、屏風《びょうぶ》だの、襖《ふすま》だの、蒲団《ふとん》だの、膳《ぜん》だの、枕だのが、あの、所狭《ところせま》きまでといふ風であつたのが、不残《のこらず》ずツと引込んで、座敷の隅々《すみずみ》へ片着《かたづ》いて、右も左も見通しに、開放《あけはな》しの野原も急に広くなつたやうに思はれたと言ひます。
 然《そ》うすると、急に秋風が身に染《し》みて、其の男はぶる/\と震へ出したさうだがね、寂閑《しんかん》として人《ひと》ツ児《こ》一人《ひとり》居さうにもない。
 夢か現《うつつ》かと思う位。」
 桂木は語りながら、自《みずか》ら其の境遇に在《あ》る如く、
「目を瞑《ねむ》つて耳を澄《すま》して居ると、二重、三重、四重ぐらゐ、壁越《かべごし》に、琴《こと》の糸に風が渡つて揺れるやうな音で、細《ほそ》く、ひゆう/\と、お媼《ばあ》さん、今お前さんが言つてる其の糸車だ。
 此の炉を一《ひと》ツ、恁《こ》うして爰《ここ》で聞いて居てさへ遠い処《ところ》に聞えるが、其《その》音が、幽《かすか》にしたとね。
 其時《そのとき》茫乎《ぼんやり》と思ひ出したのは、昨夜《ゆうべ》の其の、奥方だか、姫様《ひいさま》だか、それとも御新姐《ごしんぞ》だか、魔だか、鬼だか、お閨《ねや》へ召しました一件のお館《やかた》だが、当座は唯《ただ》赫《かっ》と取逆上《とりのぼせ》て、四辺《あたり》のものは唯《ただ》曇つた硝子《ビイドロ》を透かして、目に映つたまでの事だつたさうだけれど。
 緋の袴《はかま》を穿《は》いても居なけりや、掻取《かいどり》を着ても届ない、たゞ、輝々《きらきら》した蒔絵《まきえ》ものが揃《そろ》つて、あたりは神々《こうごう》しかつた。狭い一室《ひとま》に、束髪《たばねが
前へ 次へ
全28ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング