ばこ》の蓋《ふた》も撥飛《はねと》ばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気《しょ》げつつ座敷へ引込《ひっこ》んだ。
 少々|極《きまり》が悪くって、しばらく、背戸《せど》へ顔を出さなかった。
 庭下駄《にわげた》を揃《そろ》えてあるほどの所帯ではない。玄関の下駄を引抓《ひッつま》んで、晩方《ばんがた》背戸へ出て、柿の梢《こずえ》の一つ星を見ながら、「あの雀はどうしたろう。」ありたけの飛石――と言っても五つばかり――を漫《そぞろ》に渡ると、湿《し》けた窪地《くぼち》で、すぐ上が荵《しのぶ》や苔《こけ》、竜《りゅう》の髯《ひげ》の石垣の崖《がけ》になる、片隅に山吹《やまぶき》があって、こんもりした躑躅《つつじ》が並んで植《うわ》っていて、垣どなりの灯《ひ》が、ちらちらと透《す》くほどに二、三輪|咲残《さきのこ》った……その茂った葉の、蔭も深くはない低い枝に、雀が一羽、たよりなげに宿っていた。正《まさ》に前刻《さっき》の仔に違いない。…様子が、土から僅《わず》か二尺ばかり。これより上へは立てないので、ここまで連れて来た女親《おふくろ》が、わりのう預けて行ったものらしい……敢《あえ》て預けて行ったと言いたい。悪戯《いたずら》を詫《わ》びた私たちの心を汲《く》んだ親雀の気の優《やさ》しさよ。……その親たちの塒《ねぐら》は何処《いずこ》?……この嬰児《あか》ちゃんは寂しそうだ。
 土手の松へは夜鷹《よたか》が来る。築土《つくど》の森では木兎《ずく》が鳴く。……折から宵月《よいづき》の頃であった。親雀は、可恐《おそろし》いものの目に触れないように、なるたけ、葉の暗い中に隠したに違いない。もとより藁屑《わらくず》も綿片《わたぎれ》もあるのではないが、薄月《うすづき》が映《さ》すともなしに、ぼっと、その仔雀の身に添って、霞《かすみ》のような気が籠《こも》って、包んで円《まる》く明《あかる》かったのは、親の情《なさけ》の朧気《おぼろげ》ならず、輪光《りんこう》を顕《あら》わした影であろう。「ちょっと。」「何さ。」手招《てまね》ぎをして、「来て見なよ。」家内を呼出《よびだ》して、両方から、そっと、顔を差寄《さしよ》せると、じっとしたのが、微《かすか》に黄色な嘴《くちばし》を傾けた。この柔《やわらか》な胸毛の色は、さし覗《のぞ》いたものの襟《えり》よりも白かった。
 夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫《のらねこ》に注意した。彼奴《きゃつ》が後足《あとあし》で立てば届く、低い枝に、預《あずか》ったからである。
 朝寝はしたし、ものに紛《まぎ》れた。午《ひる》の庭に、隈《くま》なき五月の日の光を浴びて、黄金《おうごん》の如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅《つつじ》、山吹の上下《うえした》を、二羽|縦横《じゅうおう》に飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が輝いて、三寸、五寸、一尺、二尺、草樹《くさき》の影の伸びるとともに、親雀につれて飛び習う、仔の翼は、次第に、次第に、上へ、上へ、自由に軽くなって、卯《う》の花垣《はながき》の丈《たけ》を切るのが、四、五|度《たび》馴れると見るうちに、崖《がけ》をなぞえに、上町《うわまち》の樹の茂りの中へ飛んで見えなくなった。
 真綿を黄に染めたような、あの翼が、こう速《すみやか》に飛ぶのに馴れるか。かつ感じつつ、私たちは飽かずに視《なが》めた。
 あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の小縁《こえん》に、行ったり、来たり、出入《ではい》りするのは、五、六羽、八、九羽、どれが、その親と仔の二羽だかは紛れて知れない。
 ――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの御人《ごじん》に伺《うかが》いたい事がある。
 別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山《たくさん》には殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚《いなづか》、稲田《いなだ》、粟黍《あわきび》の実る時は、平家《へいけ》の大軍を走らした水鳥《みずどり》ほどの羽音《はおと》を立てて、畷行《なわてゆ》き、畔行《あぜゆ》くものを驚かす、夥多《おびただ》しい群団《むれ》をなす。鳴子《なるこ》も引板《ひた》も、半ば――これがための備《そなえ》だと思う。むかしのもの語《がたり》にも、年月《としつき》の経《ふ》る間には、おなじ背戸《せど》に、孫も彦《ひこ》も群《むらが》るはずだし、第一|椋鳥《むくどり》と塒《ねぐら》を賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もう些《ちっ》と家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町《どてさん
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング