……貴方《あなた》が(今のは!)ッて一件は。それ、奴《やっこ》を一人、お供に連れて、」
「奴を……十五六の小間使だぜ。」
「当地じゃ、奴ッてそう言います。島田|髷《まげ》に白丈長《しろたけなが》をピンと刎《は》ねた、小凜々《こりり》しい。お約束でね、御寮人には附きものの小女《こおんな》ですよ。あれで御寮人の髷が、元禄だった日にゃ、菱川師宣《ひしかわもろのぶ》えがく、というんですね。
何だろう、とお尋ねなさるのは承知の上でさ、……また、今のを御覧なすって、お聞きなさらないじゃ、大阪が怨《うら》みます。」
「人が悪いな、この人は。それまで心得ていて、はぐらかすんだから。(大阪城でございます、)はちと癪《しゃく》だろうじゃないか。」
「はははは。」
「しかし縁のない事はない。そうして、熟《じっ》とあの、煙の中の凄《すご》い櫓を視《なが》めていると、どうだろう。
四五間|前《さき》に、上品な絵の具の薄彩色《うすさいしき》で、彳《たたず》んでいた、今の、その美人の姿だがね、……淀川の流れに引かれた、私の目のせいなんだろう。すッと向うに浮いて行って、遠くの、あの、城の壁の、矢狭間《やざま》とも思う窓から、顔を出して、こっちを覗《のぞ》いた。そう見えた。いつの間にか、城の中へ入って、向直って。……
黒雲の下、煙の中で、凄いの、美しいの、と云ッて、そりゃなかった。」
三
「だから、何だか容易ならん事が起った、と思って、……口惜《くや》しいが聞くんです。
実はね、昨夜《ゆうべ》、中座を見物した時、すぐ隣りの桟敷《さじき》に居たんだよ、今の婦人《おんな》は……」と頷《うなず》くようにして初阪は云う。
男衆はまた笑った。
「ですとも。それを知らん顔で、しらばっくれて、唯今《ただいま》一見《いちげん》という顔をなさるから、はぐらかして上げましたんでさ。」
「だって、住吉《すみよし》、天王寺も見ない前《さき》から、大阪へ着いて早々、あの婦《おんな》は? でもあるまいと思う。それじゃ慌て過ぎて、振袖に躓《けつまず》いて転ぶようだから、痩我慢《やせがまん》で黙然《だんまり》でいたんだ。」
「ところが、辛抱が仕切れなくなったでしょう、ごもっともですとも。親方もね、実は、お景物にお目に掛ける、ちょうど可《い》いからッて、わざと昨夜《ゆうべ》も、貴方《あなた》を隣桟敷へ御案
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