らないまでも、網島の見当は御案内をしろって、親方に吩咐《いいつ》かって参ったんで、あすこで一ツ、桜宮から網島を口上で申し上げようと思っていたのに、あんまり腕組をなすったんで、いや、案内者、大きに水を見て涼みました。
それから、ずっと黙りで、橋を渡った処で、(今のは、)とお尋ねなさるんでさ、義理にも大阪城、と申さないじゃ、第一日本一の名城に対して、ははは、」とものありげにちょっと顔を見る。
初阪は鳥打の庇《ひさし》に手を当て、
「分りましたよ。真田幸村《さなだゆきむら》に対しても、決して粗略には存じません。萌黄色《もえぎいろ》の海のような、音に聞いた淀川が、大阪を真二《まっぷた》つに分けたように悠揚《ゆっくり》流れる。
電車の塵《ちり》も冬空です……澄透《すみとお》った空に晃々《きらきら》と太陽《ひ》が照って、五月頃の潮《うしお》が押寄せるかと思う人通りの激しい中を、薄い霧一筋、岸から離れて、さながら、東海道で富士を視《なが》めるように、あの、城が見えたっけ。
川蒸汽の、ばらばらと川浪を蹴《け》るのなんぞは、高櫓《たかやぐら》の瓦《かわら》一枚浮かしたほどにも思われず、……船に掛けた白帆くらいは、城の壁の映るのから見れば、些細《ささい》な塵です。
その、空に浮出したような、水に沈んだような、そして幻のような、そうかと思うと、歴然《ありあり》と、ああ、あれが、嬰児《あかんぼ》の時から桃太郎と一所にお馴染《なじみ》の城か、と思って見ていると、城のその屋根の上へ、山も見えぬのに、鵺《ぬえ》が乗って来そうな雲が、真黒《まっくろ》な壁で上から圧附《おしつ》けるばかり、鉛を熔《と》かして、むらむらと湧懸《わきかか》って来たろうではないか。」
初阪は意気を込めて、杖《ステッキ》をわきに挟んで云った。
二
七筋ばかり、工場の呼吸《いき》であろう、黒煙《くろけむり》が、こう、風がないから、真直《まっすぐ》に立騰《たちのぼ》って、城の櫓《やぐら》の棟を巻いて、その蔽被《おおいかぶさ》った暗い雲の中で、末が乱れて、むらむらと崩立《くずれた》って、倒《さかさま》に高く淀川の空へ靡《なび》く。……
なびくに脈を打って、七筋ながら、処々《ところどころ》、斜めに太陽の光を浴びつつ、白泡立てて渦《うずま》いた、その凄《すご》かった事と云ったら。
天守の千畳敷へ打込
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