峠から中《なか》の河内《かわち》は越せそうである。それには一週間ばかり以来《このかた》、郵便物が通ずると言うのを聞くさえ、雁《かり》の初《はつ》だよりで、古《むかし》の名将、また英雄が、涙に、誉《ほまれ》に、屍《かばね》を埋《うず》め、名を残した、あの、山また山、また山の山路を、重《かさな》る峠を、一羽《いちわ》でとぶか、と袖《そで》をしめ、襟《えり》を合わせた。山霊《さんれい》に対して、小さな身体《からだ》は、既に茶店の屋根を覗《のぞ》く、御嶽《みたけ》の顋《あご》に呑まれていたのであった。
「気をつけておいでなせえましよ。」……畷《なわて》は荒れて、洪水《でみず》に松の並木も倒れた。ただ畔《あぜ》のような街道《かいどう》端《ばた》まで、福井の車夫は、笠を手にして見送りつつ、われさえ指す方《かた》を知らぬ状《さま》ながら、式《かた》ばかり日にやけた黒い手を挙げて、白雲《しらくも》の前途《ゆくて》を指した。
 秋のはじめの、空は晴れつつ、熱い雲のみ往来して、田に立つ人の影もない。稲も、畠《はた》も、夥多《おびただ》しい洪水のあとである。
 道を切って、街道を横に瀬をつくる、流《ながれ》に迷って、根こそぎ倒れた並木の松を、丸木橋とよりは筏《いかだ》に蹈《ふ》んで、心細さに見返ると、車夫《くるまや》はなお手廂《てびさし》して立っていた。
 翼をいためた燕《つばめ》の、ひとり地《ち》ずれに辿《たど》るのを、あわれがって、去りあえず見送っていたのであろう。
 たださえ行悩《ゆきなや》むのに、秋暑しという言葉は、残暑の酷《きび》しさより身にこたえる。また汗の目に、野山の赤いまで暑かった。洪水《でみず》には荒れても、稲葉《いなば》の色、青菜の影ばかりはあろうと思うのに、あの勝山《かつやま》とは、まるで方角が違うものを、右も左も、泥の乾いた煙草畑《たばこばたけ》で、喘《あえ》ぐ息さえ舌に辛《から》い。
 祖母が縫ってくれた鞄代用《かばんがわり》の更紗《さらさ》の袋を、斜《はす》っかいに掛けたばかり、身は軽いが、そのかわり洋傘《こうもり》の日影も持たぬ。
 紅葉《こうよう》先生は、その洋傘が好きでなかった。遮《さえぎ》らなければならない日射《ひざし》は、扇子《おうぎ》を翳《かざ》されたものである。従って、一門の誰《たれ》かれが、大概《たいがい》洋傘を意に介しない。連れて不忍《しのば
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