きり、寄りつかぬ。中でも活溌なのは、お誓さんでなくってはねえ、ビイーと外《そ》れてしまう。またそのお誓はお誓で、まず、ほかほかへ皿小鉢、銚子《ちょうし》を運ぶと、お門《かど》が違いましょう。で、知りませんと、鼻をつまらせ加減に、含羞《はにか》んで、つい、と退《の》くが、そのままでは夜這星の方へ来にくくなって、どこへか隠れる。ついお銚子が遅くなって、巻煙草の吸殻ばかりが堆《うずたか》い。
 何となく、ために気がとがめて、というのが、会が月の末に当るので、懐中《ふところ》勘定によったかも分らぬ。一度、二度と間を置くうち、去年七月の末から、梅水が……これも近頃各所で行われる……近くは鎌倉、熱海。また軽井沢などへ夏季の出店《でみせ》をする。いやどこも不景気で、大したほまちにはならないそうだけれど、差引一ぱいに行けば、家族が、一夏避暑をする儲けがある。梅水は富士の裾野《すその》――御殿場へ出張した。
 そこへ、お誓が手伝いに出向いたと聞いて、がっかりして、峰は白雪、麓《ふもと》は霞だろう、とそのまま夜這星の流れて消えたのが――もう一度いおう――去年の七月の末頃であった。
 この、六月――いまに至るまで、それ切り、その消息を知らなかったのである。
 もし梅水の出店をしたのが、近い処は、房総地方、あるいは軽井沢、日光――塩原ならばいうまでもない。地の利によらないことは、それが木曾路でも、ふとすると、こんな処で、どうした拍子、何かの縁で、おなじ人に、逢うまじきものでもない、と思ったろう。
 仏蘭西《フランス》の港で顔を見たより、瑞西《スウィッツル》の山で出会ったのより、思掛けなさはあまりであったが――ここに古寺の観世音の前に、紅白の絹に添えた扇子《おうぎ》の名は、築地の黒塀を隔てた時のようではない。まのあたりその人に逢ったようで、単衣《ひとえ》の袖も寒いほど、しみじみと、熟《じっ》と視《み》た。

 たちまち、炬《たいまつ》のごとく燃ゆる、おもほてりを激しく感じた。
 爺さんが、庫裡《くり》から取って来た、燈明の火が、ちらちらと、
「やあ、見るもんじゃねえ。」
 その、扇子を引ったくると、
「あなたよ、こんなものを置いとくだ。」
 と叱るようにいって、開いたまま、その薄色の扇子で、木魚を伏せた。
 極《きま》りも悪いし、叱られたわんぱくが、ふてたように、わざとらしく祝していった。

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