種彦作、歌川国貞|画《えがく》――奇妙頂礼《きみょうちょうらい》地蔵の道行――を、ご一覧になるがいい。
通り一遍の客ではなく、梅水の馴染《なじみ》で、昔からの贔屓《ひいき》連が、六七十人、多い時は百人に余る大一座で、すき焼で、心置かず隔てのない月並の会……というと、俳人には禁句らしいが、そこらは凡杯で悟っているから、一向に頓着《とんじゃく》しない。先輩、また友達に誘われた新参で。……やっと一昨年の秋頃だから、まだ馴染も重ならないのに、のっけから岡惚れした。
「お誓さん。」
「誓ちゃん。」
「よう、誓の字。」
いや、どうも引手あまたで。大連が一台ずつ、黒塗り真円《まんまる》な大円卓を、ぐるりと輪形に陣取って、清正公には極内《ごくない》だけれども、これを蛇の目の陣と称《とな》え、すきを取って平らげること、焼山越《やけやまごえ》の蠎蛇《うわばみ》の比にあらず、朝鮮|蔚山《うるさん》の敵軍へ、大砲を打込むばかり、油の黒煙を立てる裡《なか》で、お誓を呼立つること、矢叫びに相斉《あいひと》しい。名を知らぬものまで、白く咲いて楚々《そそ》とした花には騒ぐ。
巨匠にして、超人と称えらるる、ある洋画家が、わが、名によって、お誓をひき寄せ、銑吉を傍《かたわら》にして、
「お誓さんに是非というのだ、この人に酌をしておあげなさい。」
「はい。」
が、また娘分に仕立てられても、奉公人の謙譲があって、出過ぎた酒場《バア》の給仕とは心得が違うし、おなじ勤めでも、芸者より一歩|退《さが》って可憐《しおら》しい。
「はい、お酌……」
「感謝します、本懐であります。」
景物なしの地位ぐらいに、句が抜けたほど、嬉しがったうちはいい。
少し心安くなると、蛇の目の陣に恐《おそれ》をなし、山の端《は》の霧に落ちて行く――上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》のような優姿《やさすがた》に、野声《のごえ》を放って、
「お誓さん、お誓さん。姉さん、姐《あね》ご、大姐ご。」
立てごかしに、手繰りよせると、酔った赤づらの目が、とろんこで、
「お酌を頼む。是非一つ。」
このねだりものの溌猴《わるざる》、魔界の艶夫人に、芭蕉扇を、貸さずば、奪わむ、とする擬勢を顕《あら》わす。……博識にしてお心得のある方々は、この趣を、希臘《ギリシア》、羅馬《ロオマ》の神話、印度の譬諭経
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