その頸窪《ぼんのくぼ》のあたりに、古寺の破廂《やれびさし》を、なめくじのように這《は》った。
「弱え人だあ。」
「頼むよ――こっちは名僧でも何でもないが、爺さん、爺さんを……導きの山の神と思うから。」
「はて、勿体《もったい》もねえ、とんだことを言うなっす。」
と両《ふた》つ提《さげ》の――もうこの頃では、山の爺が喫《の》む煙草がバットで差支えないのだけれど、事実を報道する――根附《ねつけ》の処を、独鈷《とっこ》のように振りながら、煙管《きせる》を手弄《てなぶ》りつつ、ぶらりと降りたが、股引《ももひき》の足拵《あしごしら》えだし、腰達者に、ずかずか……と、もう寄った。
「いや、御苦労。」
と一基の石塔の前に立並んだ、双方、膝の隠れるほど草深い。
実際、この卵塔場は荒れていた。三方崩れかかった窪地の、どこが境というほどの杭《くい》一つあるのでなく、折朽《おれく》ちた古卒都婆《ふるそとば》は、黍殻《きびがら》同然に薙伏《なぎふ》して、薄暗いと白骨に紛れよう。石碑も、石塔も、倒れたり、のめったり、台に据っているのはほとんどない。それさえ十ウの八つ九つまでは、ほとんど草がくれなる上に、積った落葉に埋《うも》れている。青芒《あおすすき》の茂った、葉越しの谷底の一方が、水田に開けて、遥々《はるばる》と連る山が、都に遠い雲の形で、蒼空《あおぞら》に、離れ島かと流れている。
割合に土が乾いていればこそで――昨日《きのう》は雨だったし――もし湿地だったら、蝮、やまかがしの警告がないまでも、うっかり一歩も入《い》れなかったであろう。
それでもこれだけ分入《わけい》るのさえ、樹の枝にも、卒都婆にも、苔《こけ》の露は深かった。……旅客の指の尖《さき》は草の汁に青く染まっている。雑樹《ぞうき》の影が沁《し》むのかも知れない。
蝙蝠《こうもり》が居そうな鼻の穴に、煙は残って、火皿に白くなった吸殻を、ふっふっと、爺は掌《てのひら》の皺《しわ》に吹落し、眉をしかめて、念のために、火の気のないのを目でためて、吹落すと、葉末にかかって、ぽすぽすと消える処を、もう一つ破草履《やれぞうり》で、ぐいと踏んで、
「ようござらっせえました、御参詣《ごさんけい》でがすかな。」
「さあ……」
と、妙な返事をする。
「南無《なむ》、南無、何かね、お前様、このお墓に所縁の方でがんすかなす。」
胡桃《くる
前へ
次へ
全29ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング