いやだな。」
 うっかり緩めた把手《ハンドル》に、衝《つ》と動きを掛けた時である。ものの二三町は瞬く間だ。あたかもその距離の前途《ゆくて》の右側に、真赤《まっか》な人のなりがふらふらと立揚《たちあが》った。天象、地気、草木、この時に当って、人事に属する、赤いものと言えば、読者は直ちに田舎娘の姨《おば》見舞か、酌婦の道行振《みちゆきぶり》を瞳に描かるるであろう。いや、いや、そうでない。
 そこに、就中《なかんずく》巨大なる杉の根に、揃って、踞《つくば》っていて、いま一度に立揚ったのであるが、ちらりと見た時は、下草をぬいて燃ゆる躑躅《つつじ》であろう――また人家がある、と可懐《なつか》しかった。
 自動車がハタと留まって、窓を赤く蔽《おお》うまで、むくむくと人数《にんず》が立ちはだかった時も、斉《ひと》しく、躑躅の根から湧上《わきあが》ったもののように思われた。五人――その四人は少年である。……とし十一二三ばかり。皆真赤なランニング襯衣《しゃつ》で、赤い運動帽子を被《かぶ》っている。彼等を率いた頭目らしいのは、独り、年配五十にも余るであろう。脊の高い瘠男《やせおとこ》の、おなじ毛糸の赤襯衣を着込んだのが、緋《ひ》の法衣《ころも》らしい、坊主袖の、ぶわぶわするのを上に絡《まと》って、脛《すね》を赤色の巻きゲエトル。赤革の靴を穿《は》き、あまつさえ、リボンでも飾った状《さま》に赤木綿の蔽《おおい》を掛け、赤い切《きれ》で、みしと包んだヘルメット帽を目深《まぶか》に被った。……
 頤骨《あごぼね》が尖《とが》り、頬がこけ、無性髯《ぶしょうひげ》がざらざらと疎《あら》く黄味を帯び、その蒼黒《あおぐろ》い面色《かおいろ》の、鈎鼻《かぎばな》が尖って、ツンと隆《たか》く、小鼻ばかり光沢《つや》があって蝋色《ろういろ》に白い。眦《まなじり》が釣り、目が鋭く、血の筋が走って、そのヘルメット帽の深い下には、すべての形容について、角が生えていそうで不気味に見えた。
 この頭目、赤色《せきしょく》の指導者が、無遠慮に自動車へ入ろうとして、ぎろりと我が銑吉を視《み》て、胸《むな》さきで、ぎしと骨張った指を組んで合掌した……変だ。が、これが礼らしい。加うるに慇懃《いんぎん》なる会釈だろう。けれども、この恭屈頂礼をされた方は――また勿論されるわけもないが――胸を引掻《ひっか》いて、腸《はらわた》で
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