き下さいまし。とんでもない奴等、若い者に爺婆《じじばば》交りで、泊の三衛門《さんねむ》が百万遍を、どうでござりましょう、この湯治場へ持込みやがって、今に聞いていらっしゃい隣宿で始めますから、けたいが悪いじゃごわせんか、この節あ毎晩だ、五智で海豚《いるか》が鳴いたって、あんな不景気な声は出しますまい。
 憑物《つきもの》のある病人に百万遍の景物じゃ、いやもう泣きたくなりまする。はははは、泣くより笑《わらい》とはこの事で、何に就けてもお客様に御迷惑な。」
「なあに、こっちの迷惑より、そういう御様子ではさぞ御当惑をなさるでありましょう、こう遣って、お世話になるのも何かの御縁でしょうから、皆さん遠慮しないが宜しい。」
 と二人で差向《さしむかい》で話をしておりまする内に、お喜代、お美津でありましょう、二人して夜具をいそいそと持運び、小宮山のと並べて、臥床《ふしど》を設けたのでありますが、客の前と気を着けましたか、使ってるものには立派過ぎた夜具、敷蒲団《しきぶとん》、畳んだまま裾《すそ》へふっかりと一つ、それへ乗せました枕は、病人が始終黒髪を取乱しているのでありましょう、夜の具《もの》の清らかなるには似ず垢附《あかつ》きまして、思做《おもいな》しか、涙の跡も見えたのでありまする。
 お美津、お喜代は、枕の両傍《りょうばた》へちょいと屈《かが》んで、きゅうッきゅうッと真直《まっすぐ》に引直し、小宮山に挨拶をして、廊下の外へ。
 ここへ例の女の肩に手弱《たお》やかな片手を掛け、悩ましい体を、少し倚懸《よりかか》り、下に浴衣、上へ繻子《しゅす》の襟の掛《かか》った、縞物《しまもの》の、白粉垢《おしろいあか》に冷たそうなのを襲《かさ》ねて、寝衣《ねまき》のままの姿であります、幅狭《はばせま》の巻附帯、髪は櫛巻《くしまき》にしておりますが、さまで結ばれても見えませぬのは、客の前へ出るというので櫛の歯に女の優しい心を籠《こ》めたものでありましょう。年紀《とし》の頃は十九か二十歳《はたち》、色は透通る程白く、鼻筋の通りました、窶《やつ》れても下脹《しもぶくれ》な、見るからに風の障るさえ痛々しい、葛《くず》の葉のうらみがちなるその風情。

       八

 高が気病《きやみ》と聞いたものが、思いの外のお雪の様子、小宮山はまず哀れさが先立って、主《あるじ》と顔を見合せまする。
 介添の女は
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