註文帳
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)天窓《あたま》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|間《けん》
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(例)※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]
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剃刀研 十九日 紅梅屋敷 作平物語 夕空 点灯頃
雪の門 二人使者 左の衣兜 化粧の名残
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剃刀研
一
「おう寒いや、寒いや、こりゃべらぼうだ。」
と天窓《あたま》をきちんと分けた風俗、その辺の若い者。双子《ふたこ》の着物に白ッぽい唐桟《とうざん》の半纏《はんてん》、博多《はかた》の帯、黒八丈の前垂《まえだれ》、白綾子《しろりんず》に菊唐草浮織の手巾《ハンケチ》を頸《うなじ》に巻いたが、向風《むこうかぜ》に少々鼻下を赤うして、土手からたらたらと坂を下り、鉄漿溝《おはぐろどぶ》というのについて揚屋町《あげやまち》の裏の田町の方へ、紺足袋に日和下駄《ひよりげた》、後の減ったる代物《しろもの》、一体なら此奴《こいつ》豪勢に発奮《はず》むのだけれども、一進が一十《いっし》、二八《にっぱち》の二月で工面が悪し、霜枯《しもがれ》から引続き我慢をしているが、とかく気になるという足取《あしどり》。
ここに金鍔《きんつば》屋、荒物屋、煙草《たばこ》屋、損料屋、場末の勧工場《かんこうば》見るよう、狭い店のごたごたと並んだのを通越すと、一|間《けん》口に看板をかけて、丁寧に絵にして剪刀《はさみ》と剃刀《かみそり》とを打違《ぶっちが》え、下に五すけと書いて、親仁《おやじ》が大|目金《めがね》を懸けて磨桶《とぎおけ》を控え、剃刀の刃を合せている図、目金と玉と桶の水、切物《きれもの》の刃を真蒼《まっさお》に塗って、あとは薄墨でぼかした彩色《さいしき》、これならば高尾の二代目三代目時分の禿《かむろ》が使《つかい》に来ても、一目して研屋《とぎや》の五助である。
敷居の内は一坪ばかり凸凹のたたき土間。隣のおでん屋の屋台が、軒下から三分が一ばかり此方《こなた》の店前《みせさき》を掠《かす》めた蔭に、古布子《ふるぬのこ》で平胡坐《ひらあぐら》、継《つぎ》はぎの膝かけを深うして、あわれ泰山崩るるといえども一髪動かざるべき身の構え。砥石《といし》を前に控えたは可《い》いが、怠惰《なまけ》が通りものの、真鍮《しんちゅう》の煙管《きせる》を脂下《やにさが》りに啣《くわ》えて、けろりと往来を視《なが》めている、つい目と鼻なる敷居際につかつかと入ったのは、件《くだん》の若い者、捨《すて》どんなり。
手を懐にしたまま胸を突出し、半纏の袖口を両方|入山形《いりやまがた》という見得で、
「寒いじゃあねえか、」
「いやあ、お寒う。」
「やっぱりそれだけは感じますかい、」
親仁は大口を開《あ》いて、啣えた煙管を吐出すばかりに、
「ははははは、」
「暢気《のんき》じゃあ困るぜ、ちっと精を出しねえな。」
「一言もござりませんね、ははははは。」
「見や、それだから困るてんじゃあねえか。ぼんやり往来を見ていたって、何も落して行《ゆ》く奴《やつ》アありやしねえよ。しかも今時分、よしんば落して行った処にしろ、お前何だ、拾って店へ並べておきゃ札をつけて軒下へぶら下げておくと同一《おんなじ》で、たちまち鳶《とんび》トーローローだい。」
「こう、憚《はばか》りだが、そんな曰附《いわくつき》の代物は一ツも置いちゃあねえ、出処《でどこ》の確《たしか》なものばッかりだ。」と件《くだん》ののみさしを行火《あんか》の火入へぽんと払《はた》いた。真鍮のこの煙管さえ、その中に置いたら異彩を放ちそうな、がらくた沢山、根附《ねつけ》、緒〆《おじめ》の類《たぐい》。古庖丁、塵劫記《じんこうき》などを取交ぜて、石炭箱を台に、雨戸を横《よこた》え、赤毛布《あかげっと》を敷いて並べてある。
「いずれそうよ、出処は確《たしか》なものだ。川尻|権守《ごんのかみ》、溝中《どぶのなか》長左衛門ね、掃溜《はきだめ》衛門之介などからお下《さが》り遊ばしたろう。」
「愚哉《おろか》々々、これ黙らっせえ、平《たいら》の捨吉、汝《なんじ》今頃この処に来《きた》って、憎まれ口をきくようじゃあ、いかさま地《じ》いろが無《ね》えものと見える。」と説破《せっぱ》一番して、五助はぐッとまた横啣《よこぐわえ》。
平の捨吉これを聞くと、壇の浦没落の顔色《がんしょく》で、
「ふむ、余り殺生が過ぎたから、ここん処精進よ。」と戸外《おもて》の方へ目を反《そら》す。狭い町を一杯に、昼帰《ひるがえり》を乗せてがらがらがら。
二
あとは往来《ゆきき》がばったり絶えて、魔が通る前後《あとさき》の寂たる路《みち》かな。如月《きさらぎ》十九日の日がまともにさして、土には泥濘《ぬかるみ》を踏んだ足跡も留《とど》めず、さりながら風は颯々《さつさつ》と冷く吹いて、遥《はるか》に高い処で払《はたき》をかける。
「串戯《じょうだん》じゃあねえ、」と若い者は立直って、
「紺屋《こうや》じゃあねえから明後日《あさって》とは謂《い》わせねえよ。楼《うち》の妓衆《おいらん》たちから三|挺《ちょう》ばかり来てる筈《はず》だ、もう疾《とっ》くに出来てるだろう、大急ぎだ。」
「へいへい。いやまた家業の方は真面目《まじめ》でございス、捨さん。」
「うむ、」
「出来てるにゃ出来てます、」と膝かけからすぽりと抜けて、行火《あんか》を突出しながらずいと立つ。
若いものは心付いたように、ハアトと銘のあるのを吸いつける。
五助は背後向《うしろむき》になって、押廻して三段に釣った棚に向い、右から左のへ三度ばかり目を通すと、無慮四五百挺の剃刀《かみそり》の中から、箱を二挺、紙にくるんだのを一挺、目方を引くごとく掌《てのひら》に据えたが、捨吉に差向けて、
「これだ、」
「どれ、」
箱を押すとすッと開いて、研澄《とぎす》ましたのが素直《まっすぐ》に出る、裏書をちょいと視《なが》め、
「こりゃ青柳《あおやぎ》さんと、可《よ》し、梅の香さんと、それから、や、こりゃ名がねえが間違やしないか。」
「大丈夫、」
「確《たしか》かね。」
「千本ごッたになったって私《わっし》が受取ったら安心だ、お持ちなせえ、したが捨さん、」
「なあに、間違ったって剃刀だあ。」
「これ、剃刀だあじゃあねえよ、お前《めえ》さん。今日は十九日だぜ。」
「ええ、驚かしちゃあ不可《いけね》え、張店《はりみせ》の遊女《おいらん》に時刻を聞くのと、十五日|過《すぎ》に日をいうなあ、大の禁物だ。年代記にも野暮の骨頂としてございますな。しかも今年は閏《うるう》がねえ。」
「いえ、閏があろうとあるまいと、今日は全く十九日だろうな。」と目金越に覗《のぞ》き込むようにして謂《い》ったので、捨吉は変な顔。
「どうしたい。そうさ、」
「お前《めえ》さん楼《とこ》じゃあ構わなかったっけか。」
「何を、」
「剃刀をさ。」
謂うことはのみ込めないけれども、急に改まって五助が真面目だから、聞くのも気がさして、
「剃刀を? おかしいな。」
「おかしくはねえよ。この頃じゃあ大抵|何楼《どこ》でも承知の筈だに、どうまた気が揃ったか知らねえが、三人が三人取りに寄越《よこ》したのはちっと変だ、こりゃお気をつけなさらねえと危《あぶね》えよ。」
ますます怪訝《けげん》な顔をしながら、
「何も変なこたアありやしないんだがね、別に遊女《おいらん》たちが気を揃えてというわけでもなしさ。しかしあたろうというのは三人や四人じゃあねえ、遣《や》れるもんなら楼《うち》に居るだけ残らずというのよ。」
「皆《みんな》かい、」
「ああ、」
「いよいよ悪かろう。」
「だってお前《めえ》、床屋が居続けをしていると思や、不思議はあるめえ。」
五助は苦笑《にがわらい》をして、
「洒落《しゃれ》じゃあないというに。」
「何、洒落じゃあねえ、まったくの話だよ。」と若いものは話に念が入《い》って、仕事場の前に腰を据えた。
十九日
三
「昨夜《ゆうべ》ひけ過《すぎ》にお前《めえ》、威勢よく三人で飛込んで来た、本郷辺の職人|徒《てあい》さ。今朝になって直すというから休業《やすみ》は十七日だに変だと思うと、案の定なんだろうじゃあないか。
すったもんだと捏《こ》ねかえしたが、言種《いいぐさ》が気に入ったい、総勢二十一人というのが昨日《きのう》のこッた、竹の皮包の腰兵糧でもって巣鴨《すがも》の養育院というのに出かけて、施《ほどこし》のちょきちょきを遣《や》ってさ、総がかりで日の暮れるまでに頭の数五|百《そく》と六十が処片づけたという奇特な話。
その崩《くずれ》が豊国へ入って、大廻りに舞台が交《かわ》ると上野の見晴《みはらし》で勢揃《せいぞろい》というのだ、それから二|人《にん》三人ずつ別れ別れに大門へ討入《うちいり》で、格子さきで胄首《かぶと》と見ると名乗《なのり》を上げた。
もとよりひってんは知れている、ただは遁《に》げようたあ言わないから、出来るだけ仕事をさせろ。愚図《ぐず》々々|吐《ぬか》すと、処々に伏勢《ふせぜい》は配ったり、朝鮮伝来の地雷火が仕懸けてあるから、合図の煙管《きせる》を払《はた》くが最後、芳原は空《くう》へ飛ぶぜ、と威勢の好《い》い懸合《かけあい》だから、一番景気だと帳場でも買ったのさね。
そこで切味の可《い》いのが入用というので、ちょうどお前《めえ》ん処《とこ》へ頼んだのが間に合うだろうと、大急ぎで取りに来たんだが、何かね、十九日がどうかしたかね。」
「どうのこうのって、真面目なんだ。いけ年《どし》を仕《つかまつ》って何も万八を極《き》めるにゃ当りません。」
「だからさ、」
「大概《てえげえ》御存じだろうと思うが、じゃあ知らねえのかね。この十九日というのは厄日でさ。別に船頭衆《せんどしゅう》が大晦日《おおみそか》の船出をしねえというような極《きま》ったんじゃアありません。他《ほか》の同商売にはそんなことは無《ね》えようだが、廓《くるわ》中のを、こうやって引受けてる、私許《うち》ばかりだから忌《いや》じゃあねえか。」
「はて――ふうむ。」
「見なさる通りこうやって、二|百《そく》三百と預ってありましょう。殊にこれなんざあ御銘々使い込んだ手加減があろうというもんだから。そうでなくッたって粗末にゃあ扱いません。またその癖誰もこれを一|挺《ちょう》どうしようと云うのも無《ね》えてッた勘定だけれど、数のあるこッたから、念にゃあ念を入れて毎日一度ずつは調べるがね。紛失《ふんじつ》するなんてえ馬鹿げたことはない筈《はず》だが、聞きなせえ、今日だ、十九日というと不思議に一挺ずつ失《な》くなります。」
「何《なん》が、」と変な目をして、捨吉は解《わか》ったようで呑込《のみこ》めない。
「何がッたって、預ってる中《うち》のさ。」
「おお、」
「ね、御覧なせえ、不思議じゃアありませんかい。私《わっし》もどうやらこうやら皆様《みなさん》で贔屓《ひいき》にして、五助のでなくッちゃあ歯切《はぎれ》がしねえと、持込んでくんなさるもんだから、長年居附いて、婆《ばば》どんもここで見送ったというもんだ。先《せん》の内もちょいちょい紛失したことがあるにゃあります。けれども何の気も着かねえから、そのたんびに申訳をして、事済みになり/\したんだが。
毎々のことでしょう、気をつけると毎月さ、はて変だわえ、とそれからいつでも寝際にゃあちゃんと、ちゅう、ちゅう、たこ、かいなのちゅ、と遣ります。
いつの間にか失くなるさ、怪《け》しからねえこッたと、大きに考え込んだ日が何でも四五年前だけれど、忘れもしねえ十九日。
聞きなせえ。
するとその前の月にも一昨日《おととい》持って来たとッて、東屋《あずまや》の
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