をかけ、短胴服《チョッキ》をかけて、それから上衣を引《ひっ》かけたが、持ったまま手を放さず、じっと立って、再び密《そっ》と爪立《つまだ》つようにして、間《ま》を隔ってあたかも草双紙の挿絵を見るよう、衣《きぬ》の縞《しま》も見えて森閑と眠っている姿を覗くがごとくにして、立戻って、再三衣桁にかけた上衣の衣兜《かくし》。
 しかもその左の方を、しっかと取ってお若は思わず、
「ああ、厭《いや》だっていうんだもの、」と絶入るように独言《ひとりごと》をした。あわれこうして、幾久しく契《ちぎり》を籠《こ》めよと、杉が、こうして幾久しく契を籠めよと!
 お若は我を忘れたように、じっとおさえたまま身を震わして、しがみつくようにするトタンに、かちりと音して、爪先へ冷《ひや》りと中《あた》り、総身に針を刺されたように慄《ぞっ》と寒気を覚えたのを、と見ると一|挺《ちょう》の剃刀《かみそり》であった。
「まあ、恐《こわ》いことねえ。」
 なお且つびっしょり濡れながら袂《たもと》の端に触れたのは、包んで五助が方《かた》へあつらえた時のままなる、見覚えのある反故《ほご》である。
 お若はわなわなと身を震わしたが、左手《ゆんで》に取ってじっと見る間に、面《おもて》の色が颯《さっ》と変った。
「わッ。」
 というと研屋《とぎや》の五助、喚《わめ》いて、むッくと弾《は》ね起きる。炬燵の向うにころりとせ、貧乏徳利を枕にして寝そべっていた鏡研《かがみとぎ》の作平、もやい蒲団《ぶとん》を弾反《はねかえ》されて寝惚声《ねぼげごえ》で、
「何じゃい、騒々しい。」
 五助は服《きもの》はだけに大の字|形《なり》の名残《なごり》を見せて、蟇《ひきがえる》のような及腰《およびごし》、顔を突出して目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、障子越に紅梅屋敷の方《かた》を瞻《みつ》めながら、がたがたがたがた、
「大変だ、作平さん、大変だ、ひ、ひ、人殺し!」
「貧乏神が抜け出す前兆《しらせ》か、恐しく怯《おど》されるの、しっかりさっししっかりさっし。」といいながら、余り血相のけたたましさに、捨ておかれずこれも起きる。枕頭《まくらもと》には大皿に刺身のつま、猪口《ちょく》やら箸《はし》やら乱暴で。
「いや、お前《めえ》しっかりしてくれ、大変だ、どうも恐しい祟《たたり》だぜ、一方《ひとかた》ならねえ執念だ。」


     化粧の名残

       二十四

「とうとうお前《めえ》、旗本の遊女《おいらん》が惚《ほ》れた男の血筋を、一人紅梅屋敷へ引込んだ、同一《おなじ》理窟で、お若さんが、さ、さ、先刻《さっき》取り上げられた剃刀《かみそり》でやっぱり、お前、とても身分違いで思《おもい》が叶《かな》わぬとッて、そ、その男を殺すというのだい。今行水を遣《つか》ってら、」
「何をいわっしゃる、ははははは、風邪を引くぞ、うむ、夢じゃわ夢じゃわ。」
「はて、しかし夢か、」とぼんやりして腕を組んだが、
「待てよ、こうだによってと、誰か先刻《さっき》ここの前へ来て二上屋の寮を聞いたものはねえか。」
「おお、」
 作平も膝を叩いた。
「そういやあある。お前《めえ》は酔っぱらってぐうぐうじゃ、何かまじまじとして私《わし》あ寐《ね》られん、一時《いっとき》半ばかり前に、恐しく風が吹いた中で、確《たしか》に聞いた、しかも少《わか》い男の声よ。」
「それだそれだ、まさしくそれだ、や、飛んだこッた。
 お前《めえ》、何でも遊女《おいらん》に剃刀を授かって、お若さんが、殺してしまうと、身だしなみのためか、行水を、お前、行水ッて湯殿でお前、小桶《こおけ》に沸《わき》ざましの薬鑵《やかん》の湯を打《ぶ》ちまけて、お前、惜気もなく、肌を脱ぐと、懐にあった剃刀を啣《くわ》えたと思いねえ。硝子戸《がらすど》の外から覗《のぞ》いてた、私《わし》が方を仰向《あおむ》いての、仰向くとその拍子に、がッくり抜けた島田の根を、邪慳《じゃけん》に引《ひっ》つかんだ、顔色《かおつき》ッたら、先刻《さっき》見た幽霊にそッくりだあ、きゃあッともいおうじゃあねえか、だからお前、疾《はや》く行って留めねえと。」
「そして男を殺すとでもいうたかい、」
「いや、私《わし》が夢はお前《めえ》の夢、ええ、小じれッてえ。何でもお前が紅梅屋敷を教えたからだ。今思やうつつだろうか、晩方しかも今日|研立《とぎたて》の、お若さんの剃刀を取られたから、気になって、気になって堪《たま》るめえ。
 処へ夜が更けて、尋ねて行《ゆ》くものがあるから、おかしいぜ、此奴《こいつ》、贔屓《ひいき》の田之助に怪我でもあっちゃあならねえと、直ぐにあとをつけて行《ゆ》くつもりだっけ、例の臆病《おくびょう》だから叶わねえ、不性《ぶしょう》をいうお前を、引張出《ひっぱりだ》し
前へ 次へ
全22ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング