でかい。」
「あれ、」と低声《こごえ》に年増《としま》が制して、門《かど》なる方《かた》を憚《はばか》る気勢《けはい》。
「可《よ》かったら開けて下さい、こっちにお知己《ちかづき》の者じゃあないんです、」
「…………」
「この突当《つきあたり》の家《うち》で聞いて来たんですが、紅梅屋敷とかいうのでしょう。」
「はい、あの誰方《どなた》様で、」
「いえ、御存じの者じゃアありませんが、すこし頼まれて来たんです、構いません、ここで言いますから、あのね。」
「お開けよ。」
「…………」
「こっちへさあ。可《い》いわ、」
 ここにおいて、
「まあ、お入りなさいまし。」と半ば圧《おさ》えていた格子戸をがらりと開けた。框《かまち》にさし置いた洋燈《ランプ》の光は、ほのぼのと一筋、戸口から雪の中。
 同時に身を開いて一足あとへ、体を斜めにする外套《がいとう》を被《き》た人の姿を映して、余《あまり》の明《あかり》は、左手《ゆんで》なる前庭を仕切った袖垣を白く描き、枝を交《まじ》えた紅梅にうつッて、間近なるはその紅《くれない》の莟《つぼみ》を照《てら》した。
 けれども、その最もよく明かに且つ美しく照したのは、雪の風情でなく、花の色でなく、お杉がさした本斑布《ほんばらふ》の櫛《くし》でもない。濃いお納戸地に柳立枠《やなぎたてわく》の、小紋縮緬《こもんちりめん》の羽織を着て、下着は知らず、黒繻子《くろじゅす》の襟をかけた縞《しま》縮緬の着物という、寮のお若が派手姿と、障子に片手をかけながら、身をそむけて立った脇あけをこぼるる襦袢《じゅばん》と、指に輝く指環《ゆびわ》とであった。
 部屋|働《ばたらき》のお杉は円髷《まるまげ》の頭《かしら》を下げ、
「どうぞ、貴下《あなた》、」
「それでは、」と身を進めて、さすがに堪え難うしてか、飛込む勢《いきおい》。中折《なかおれ》の帽子を目深《まぶか》に、洋服の上へ着込んだ外套の色の、黒いがちらちらとするばかり、しッくい叩きの土間も、研出《とぎだ》したような沓脱石《くつぬぎいし》も、一面に雪紛々。
「大変でございますこと、」とお杉が思わず、さもいたわるように言ったのを聞くと、吻《ほっ》とする呼吸《いき》をついて、
「ああ、乱暴だ。失礼。」と身震《みぶるい》して、とんとんと軽く靴を踏み、中折を取ると柔かに乱れかかる額髪を払って、色の白い耳のあたりを拭《ぬぐ》ったが、年紀《とし》のころ二十三四、眉の鮮《あざや》かな目附に品のある美少年。殊にものいいの判然《はっきり》として訛《なまり》のないのは明《あきらか》にその品性を語り得た。お杉は一目見ると、直ちにかねて信心の成田様の御左《おんひだり》、矜羯羅童子《こんがらどうじ》を夢枕に見るような心になり、
「さぞまあ、ねえ、どうもまあ、」とばかり見惚《みと》れていたのが、慌《あわただ》しく心付いて、庭下駄を引《ひっ》かけると客の背後《うしろ》へ入交《いれかわ》って、吹雪込む門《かど》の戸を二重《ふたえ》ながら手早くさした。
「直ぐにお暇《いとま》を。」
「それでも吹込みまして大変でございますもの。」
 と見るとお若が、手を障子にかけて先刻《さっき》から立ったままぼんやり身動《みうごき》もしないでいる。
「お若さん、御挨拶をなさいましなね、」
 お若は莞爾《にっこり》して何にも言わず、突然《いきなり》手を支《つか》えて、ばッたり悄《しお》れ伏すがごとく坐ったが、透通るような耳許《みみもと》に颯《さっ》と紅《くれない》。
 髷の根がゆらゆらと、身を揉《も》むばかりさも他愛なさそうに笑ったと思うと、フイと立ってばたばたと見えなくなった。
 客は手持無沙汰《てもちぶさた》、お杉も為《せ》ん術《すべ》を心得ず。とばかりありて、次の室《ま》の襖越《ふすまごし》に、勿体らしい澄《すま》したものいい。
「杉や、長火鉢の処じゃあ失礼かい。」

       十六

「いいえ、貴下《あなた》失礼でございますが、別にお座敷へ何いたしますと、寒うございますから。そしてこれをお羽織んなさいまし、気味が悪いことはございません、仕立《したて》ましたばかりでございます。」と裏返しか、新調か、知らず筋糸のついたままなる、結城《ゆうき》の棒縞《ぼうじま》の寝《ねん》ね子《こ》半纏《ばんてん》。被《き》せられるのを、
「何、そんな、」とかえって剪賊《おいはぎ》に出逢ったように、肩を捻《ねじ》るほどなおすべりの可《い》い花色裏。雪まぶれの外套を脱いだ寒そうで傷々《いたいた》しい、背《うしろ》から苦もなくすらりと被《かぶ》せたので、洋服の上にこの広袖《どてら》で、長火鉢の前に胡坐《あぐら》したが、大黒屋|惣六《そうろく》に肖《に》て否《ひ》なるもの、S. DAIKOKUYA という風情である。
「どうしてこんな晩に、
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