を悪くさせるから伏せてはあろうが、お前さんだ、今日は剃刀を扱《つか》わねえことを知っていそうなもんだと思うが、楼《うち》でも気がつかねえでいるのかしら。」
「ええ! ほんとうかい、お前《めえ》とは妙に懇意だが、実は昨今だから、……へい?」と顔の筋を動かして、眉をしかめ、目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ると、この地色の無い若い者は、思わず手に持った箱を、ばったり下に置く。
「ええ、もし、」
「はい。」と目金を向ける、気を打った捨吉も斉《ひと》しく振向くと、皺嗄《しゃが》れた声で、
「お前さん、御免なさいまし。」
敷居際に蹲《つくば》った捨吉が、肩のあたりに千草色の古股引《ふるももひき》、垢《あか》じみた尻切半纏《しりきりばんてん》、よれよれの三尺、胞衣《えな》かと怪《あやし》まれる帽を冠《かぶ》って、手拭《てぬぐい》を首に巻き、引出し附のがたがた箱と、海鼠形《なまこなり》の小盥《こだらい》、もう一ツ小盥を累《かさ》ねたのを両方振分にして天秤《てんびん》で担いだ、六十ばかりの親仁《おやじ》、瘠《やせ》さらぼい、枯木に目と鼻とのついた姿で、さもさも寒そう。
捨吉は袖を交わして、ひやりとした風、つっけんどんなもの謂《いい》で、
「何だ、」
「はい、もしお寒いこッてござります。」
「北風《ならい》のせいだな、こちとらの知ったこッちゃあねえよ。」
「へへへへへ、」と鼻の尖《さき》で寂《さみ》しげなる笑《えみ》を洩《もら》し、
「もし、唯今《ただいま》のお話は、たしか幾日《いくか》だとかおっしゃいましたね。」
五
五助は目金越に、親仁の顔を瞻《みまも》っていたが、
「やあ作平《さくべい》さんか、」といって、その太わくの面道具《おもてどうぐ》を耳から捻《ねじ》り取るよう、※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《も》ぎはなして膝の上。口をこすって、またたいて、
「飛んだ、まあお珍しい、」と知った中。捨吉間が悪かったものと見え、
「作平さん、かね。」と低声《こごえ》で口の裡《うち》。
折から、からからと後歯《あとば》の跫音《あしおと》、裏口ではたと留《や》んで、
「おや、また寝そべってるよ、図々しい、」
叱言《こごと》は犬か、盗人猫《ぬすっとねこ》か、勝手口の戸をあけて、ぴッしゃりと蓮葉《はすは》にしめたが、浅間だから直《じき》にもう鉄瓶をかちりといわせて、障子の内に女の気勢《けはい》。
「唯今。」
「帰《けえ》んなすったかい、」
「お勝さん?」と捨吉は中腰に伸上りながら、
「もうそんな時分かな。」
「いいえ、いつもより小一時間遅いんですよ、」
という時、二枚|立《だて》のその障子の引手の破目《やぶれめ》から仇々《あだあだ》しい目が二ツ、頬のあたりがほの見えた。蓋《けだ》し昼の間《うち》寐《ね》るだけに一間の半《なかば》を借り受けて、情事《いろごと》で工面の悪い、荷物なしの新造《しんぞ》が、京町あたりから路地づたいに今頃戻って来るとのこと。
「少し立込んだもんですからね、」
「いや、御苦労様、これから緩《ゆっく》りとおひけに相成《あいなり》ます?」
「ところが不可《いけ》ないの、手が足りなくッて二度の勤《つとめ》と相成ります。」
「お出懸《でかけ》か、」と五助。
「ええ、困るんですよ、昨夜《ゆうべ》もまるッきり寐ないんですもの、身体《からだ》中ぞくぞくして、どうも寒いじゃアありませんか、お婆さん堪《たま》らないから、もう一枚下へ着込んで行《ゆ》きましょうと思って、おお、寒い。」といってまた鉄瓶をがたりと遣《や》る。
さらぬだに震えそうな作平、
「何てえ寒いこッてございましょう、ついぞ覚えませぬ。」
「はッくしょい、ほう、」と呼吸《いき》を吹いて、堪《たま》りかねたらしい捨吉続けざまに、
「はッくしょい! ああ、」といって眉を顰《ひそ》め、
「噂《うわさ》かな、恐しく手間が取れた、いや、何しろ三挺頂いて帰りましょう。薄気味は悪いけれど、名にし負う捨どんがお使者でさ、しかも身替《みがわり》を立てる間《うち》奥の一間で長ッ尻《ちり》と来ていらあ。手ぶらでも帰られまい。五助さん、ともかくも貰って行《ゆ》くよ。途中で自然《おのず》からこの蓋《ふた》が取れて手が切れるなんざ、おっと禁句、」とこの際、障子の内へ聞かせたさに、捨吉相方なしの台辞《せりふ》あり。
五助はまめだって、
「よくそう謂《い》いなせえよ、」
「十九日かね、」と内からいう。
「ええ、御存じ、」といいながら、捨吉腰を伸《のば》してずいと立った。
「希代だわねえ。」
「やっぱり何でございますかい、」と作平はこれから話す気、振《ふり》かえて、荷を下《おろ》し、屋台へ天秤を立てかける。
捨吉はぐいと三挺、懐へ突込みそうにしたが、じっと
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