化粧の名残

       二十四

「とうとうお前《めえ》、旗本の遊女《おいらん》が惚《ほ》れた男の血筋を、一人紅梅屋敷へ引込んだ、同一《おなじ》理窟で、お若さんが、さ、さ、先刻《さっき》取り上げられた剃刀《かみそり》でやっぱり、お前、とても身分違いで思《おもい》が叶《かな》わぬとッて、そ、その男を殺すというのだい。今行水を遣《つか》ってら、」
「何をいわっしゃる、ははははは、風邪を引くぞ、うむ、夢じゃわ夢じゃわ。」
「はて、しかし夢か、」とぼんやりして腕を組んだが、
「待てよ、こうだによってと、誰か先刻《さっき》ここの前へ来て二上屋の寮を聞いたものはねえか。」
「おお、」
 作平も膝を叩いた。
「そういやあある。お前《めえ》は酔っぱらってぐうぐうじゃ、何かまじまじとして私《わし》あ寐《ね》られん、一時《いっとき》半ばかり前に、恐しく風が吹いた中で、確《たしか》に聞いた、しかも少《わか》い男の声よ。」
「それだそれだ、まさしくそれだ、や、飛んだこッた。
 お前《めえ》、何でも遊女《おいらん》に剃刀を授かって、お若さんが、殺してしまうと、身だしなみのためか、行水を、お前、行水ッて湯殿でお前、小桶《こおけ》に沸《わき》ざましの薬鑵《やかん》の湯を打《ぶ》ちまけて、お前、惜気もなく、肌を脱ぐと、懐にあった剃刀を啣《くわ》えたと思いねえ。硝子戸《がらすど》の外から覗《のぞ》いてた、私《わし》が方を仰向《あおむ》いての、仰向くとその拍子に、がッくり抜けた島田の根を、邪慳《じゃけん》に引《ひっ》つかんだ、顔色《かおつき》ッたら、先刻《さっき》見た幽霊にそッくりだあ、きゃあッともいおうじゃあねえか、だからお前、疾《はや》く行って留めねえと。」
「そして男を殺すとでもいうたかい、」
「いや、私《わし》が夢はお前《めえ》の夢、ええ、小じれッてえ。何でもお前が紅梅屋敷を教えたからだ。今思やうつつだろうか、晩方しかも今日|研立《とぎたて》の、お若さんの剃刀を取られたから、気になって、気になって堪《たま》るめえ。
 処へ夜が更けて、尋ねて行《ゆ》くものがあるから、おかしいぜ、此奴《こいつ》、贔屓《ひいき》の田之助に怪我でもあっちゃあならねえと、直ぐにあとをつけて行《ゆ》くつもりだっけ、例の臆病《おくびょう》だから叶わねえ、不性《ぶしょう》をいうお前を、引張出《ひっぱりだ》し
前へ 次へ
全44ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング