夜が明けて爺やとお辻さんが帰って参りましたら、それは杉が心得ますから、ねえ、お若さん。」
お杉大明神様と震えつく相談と思《おもい》の外、お若は空吹く風のよう、耳にもかけない風情で、恍惚《うっとり》して眠そうである。
はッと思うと少年よりは、お杉がぎッくり、呆気《あっけ》に取られながら安からぬ顔を、お若はちょいと見て笑って、うつむいて、
「夜が明けると直《すぐ》お帰んなさるんなら厭!」
「そうすりゃ、」と杉は勢込み、突然《いきなり》上着の衣兜《かくし》の口を、しっかりとつかまえて、
「こうして、お引留めなさいましな。」
二十三
寝衣《ねまき》に着換えさしたのであろう、その上衣と短胴服《チョッキ》、などを一かかえに、少し衣紋《えもん》の乱れた咽喉《のど》のあたりへ押《おッ》つけて、胸に抱《いだ》いて、時の間《ま》に窶《やつれ》の見える頤《おとがい》を深く、俯向《うつむ》いた姿《なり》で、奥の方六畳の襖《ふすま》を開けて、お若はしょんぼりして出て来た。
襖の内には炬燵《こたつ》の裾《すそ》、屏風《びょうぶ》の端。
背《うしろ》片手で密《そ》とあとをしめて、三畳ばかり暗い処で姿が消えたが、静々と、十畳の広室《ひろま》に顕《あらわ》れると、二室《ふたま》越|二重《ふたえ》の襖、いずれも一枚開けたままで、玄関の傍《わき》なるそれも六畳、長火鉢にかんかんと、大形の台洋燈《だいランプ》がついてるので、あかりは青畳の上を辷《すべ》って、お若の冷たそうな、爪先《つまさき》が、そこにもちらちらと雪の散るよう、足袋は脱いでいた。
この灯《あかり》がさしたので、お若は半身を暗がりに、少し伸上るようにして透《すか》して見ると、火鉢には真鍮《しんちゅう》の大薬鑵《おおやかん》が懸《かか》って、も一ツ小鍋《こなべ》をかけたまま、お杉は行儀よく坐って、艶々《つやつや》しく結った円髷《まるまげ》の、その斑布《ばらふ》の櫛《くし》をまともに見せて、身動きもせずに仮睡《いねむり》をしている。
差覗《さしのぞ》いてすっと身を引き、しばらく物音もさせなかったが、やがてばったり、抱えてたものを畳に落して、陰々として忍泣《しのびなき》の声がした。
しばらくすると、密《そっ》とまたその着物を取り上げて、一ツずつ壁の際なる衣桁《いこう》の亙《わたし》。
お若は力なげに洋袴《ずぼん》
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