お帰りなさいまし。
私《わたくし》どもの分際でこう申しちゃあ失礼でございますけれども、何だかあなたはお厄日ででもいらっしゃいますように存じますわ。
お顔色もまだお悪うございますし、御気分がどうかでございますが、雪におあたりなすったのかも知れません。何だか、御大病の前ででもあるように、どこか御様子がお寂しくッて、それにしょんぼりしておいでなさいますよ。
御自分じゃちゃんとしてお在《いで》遊ばすのでございましょうけれども、どうやらお心が確《たしか》じゃないようにお見受申します。
お聞き申しますと悪いことばかり、お宅から召したお腕車は破《こわ》れたでしょう、松坂屋の前からのは、間違えて飛んだ処へお連れ申しますし、お時計はなくなります。またお気にお懸け遊ばすには及びませんが、お託《ことづか》り下さいましたものも失《う》せますね。それも二度、これも二度、重ね重ね御災難、二度のことは三度とか申します。これから四ツ谷|下《くん》だりまで、そりゃ十年お傭《やとい》つけのような確《たしか》な若いものを二人でも三人でもお跟《つ》け申さないでもございませんが、雪や雨の難渋なら、皆《みんな》が御迷惑を少しずつ分けて頂いて、貴下《あなた》のお身体《からだ》に恙《つつが》のないようにされますけれども、どうも御様子が変でございます。お怪我でもあってはなりません。内へお通いつけのお客様で、お若さんとどんなに御懇意な方でも、ついぞこちらへはいらっしった験《ためし》のございませんのに、しかもあなた、こういう晩、更けてからおいで遊ばしたのも御介抱を申せという、成田様のおいいつけででもございましょう。
悪いことは申しませんから、お泊んなさいまし、ね、そうなさいまし。
そしてお若さんもお炬燵《こた》へ、まあ、いらっしゃいまし、何ぞお暖《あったか》なもので縁起直しに貴下一口差上げましょうから、
あれさ、何は差置きましてもこの雪じゃありませんかねえ。」
「実はどういうんだか、今夜の雪は一片《ひとつ》でも身体《からだ》へ当るたびに、毒虫に螫《ささ》れるような気がするんです。」
と好個の男児何の事ぞ、あやかしの糸に纏《まと》われて、備わった身の品を失うまで、かかる寒さに弱ったのであった。
「ですからそうなさいまし、さあ御安心。お若さん宜《よ》うございましょう? 旦那はあちらで十二時までは受合お休み、
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