地へ入った処、ちょうど可い、帰路《かえりみち》もそこだというもの。そのまま別れて遣《や》って来ると、先刻《さっき》尋ねました、路地の突当りになる通《とおり》の内に、一軒|灯《あかり》の見える長屋の前まで来て、振向いて見ると、その婦人《おんな》がまだ立っていて、こっちへ指《ゆびさし》をしたように見えたけれども、朧気《おぼろげ》でよくは分らないから、一番《ひとつ》、その灯《あかり》を幸《さいわい》。
路地をお入んなさいッて、酒にでも酔ったらしい、爺《じじい》の声で教えてくれた。
何、一々|委《くわ》しいことをお話しするにも当らなかったんだけれど、こっちへ入って、はじめて、この明《あかる》い灯《あかり》を見ると、何だか雪路《ゆきみち》のことが夢のように思われたから、自分でもしっかり気を落着けるため、それから、筋道を謂わないでは、夜中に婦人《おんな》ばかりの処へ、たとえ頼まれたッても変だから。
そういう訳です、ともかくもその頼まれたものを上げましょう、」といって、無造作に肱《ひじ》を張って、左の胸に高く取った衣兜《かくし》の中へ手を入れた。――
固くなって聞いていた、二人とも身動きして、お若は愛くるしい頬を支えて白い肱に襦袢の袖口を搦《から》めながら、少し仰向いて、考えるらしく銀《すず》のような目を細め、
「何だろうねえ、杉や。」
「さようでございます、」とばかり一大事の、生命《いのち》がけの、約束の、助けるのと、ちっとも心あたりは無かったが、あえて客の言《ことば》を疑う色は無かったのである。
「待って下さい、」とこの時、また右の方の衣兜《かくし》を探って、小首を傾け、
「はてな、じゃあ外套《がいとう》の方だった、」と片膝立てたので。
杉、
「私が。」
「確か左の衣兜へ、」
と差俯《さしうつむ》いた処へ、玄関から、この人のと思うから、濡れたのを厭《いと》わず、大切に抱くようにして持って来た。
敷居の上へ斜《ななめ》に拡げて、またその衣兜へ手を入れたが、冷たかったか、慄《ぞっ》としたよう。
二十一
「可《よ》うございますよ、お落しなさいましても、あなたちっとも御心配なことはないの。」
探しあぐんで、外套を押遣《おしや》って、ちと慌てたように広袖《どてら》を脱ぎながら、上衣の衣兜へまた手を入れて、顔色をかえて悄《しお》れてじっと考えた時、お若は
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