》の般若《はんにゃ》と、面《つら》白く鼻の黄なる狐である。魔とも、妖怪変化とも、もしこれが通魔《とおりま》なら、あの火をしめす宮奴が気絶をしないで堪《こら》えるものか。で、般若は一|挺《ちょう》の斧《おの》を提げ、天狗は注連《しめ》結いたる半弓に矢を取添え、狐は腰に一口《ひとふり》の太刀を佩《は》く。
 中に荒縄の太いので、笈摺《おいずり》めかいて、灯《とも》した角行燈《かくあんどん》を荷《にな》ったのは天狗である。が、これは、勇しき男の獅子舞、媚《なまめ》かしき女の祇園囃子《ぎおんばやし》などに斉しく、特に夜《よ》に入《い》って練歩行《ねりある》く、祭の催物の一つで、意味は分らぬ、(やしこばば)と称《とな》うる若連中のすさみである。それ、腰にさげ、帯にさした、法螺《ほら》の貝と横笛に拍子を合せて、
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やしこばば、うばば、
うば、うば、うばば。
火を一つ貸せや。
火はまだ打たぬ。
あれ、あの山に、火が一つ見えるぞ。
やしこばば、うばば。
うば、うば、うばば。
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 ……と唄う、ただそれだけを繰返しながら、矢をはぎ、斧を舞わし、太刀をかざして、頤《あご》から頭なりに、首を一つぐるりと振って、交《かわ》る交《がわ》るに緩く舞う。舞果てると鼻の尖《さき》に指を立てて臨兵闘者云々《りんぺいとうしゃうんぬん》と九字を切る。一体、悪魔を払う趣意だと云うが、どうやら夜陰のこの業体《ぎょうてい》は、魑魅魍魎《ちみもうりょう》の類を、呼出し招き寄せるに髣髴《ほうふつ》として、実は、希有《けぶ》に、怪しく不気味なものである。
 しかもちと来ようが遅い。渠等《かれら》は社《やしろ》の抜裏の、くらがり坂とて、穴のような中を抜けてふとここへ顕《あらわ》れたが、坂下に大川一つ、橋を向うへ越すと、山を屏風《びょうぶ》に繞《めぐ》らした、翠帳紅閨《すいちょうこうけい》の衢《ちまた》がある。おなじ時に祭だから、宵から、その軒、格子先を練廻《ねりまわ》って、ここに時おくれたのであろう。が、あれ、どこともなく瀬の音して、雨雲の一際黒く、大《おおい》なる蜘蛛の浸《にじ》んだような、峰の天狗松の常燈明の一つ灯《び》が、地獄の一つ星のごとく見ゆるにつけても、どうやら三体の通魔めく。
 渠等は、すっと来て通り際《しな》に、従七位の神官の姿を見て、黙って、言い合せたように、音の無い草鞋を留《と》めた。
 この行燈で、巣に搦《から》んだいろいろの虫は、空蝉《うつせみ》のその羅《うすもの》の柳条目《しまめ》に見えた。灯に蛾《ひとりむし》よりも鮮明《あざやか》である。
 但し異形な山伏の、天狗、般若、狐も見えた。が、一際《ひときわ》色は、杢若の鼻の頭《さき》で、
「えら美しい衣服《べべ》じゃろがな。」
 と蠢《うごめ》かいて言った処は、青竹二本に渡したにつけても、魔道における七夕《たなばた》の貸小袖という趣である。
 従七位の摂理の太夫は、黒痘痕《くろあばた》の皺《しわ》を歪《ゆが》めて、苦笑《にがわらい》して、
「白痴《たわけ》が。今にはじめぬ事じゃが、まずこれが衣類ともせい……どこの棒杭《ぼうぐい》がこれを着るよ。余りの事ゆえ尋ねるが、おのれとても、氏子の一人じゃ、こう訊くのも、氏神様の、」
 と厳《おごそか》に袖に笏《しゃく》を立てて、
「恐多いが、思召《おぼしめし》じゃとそう思え。誰が、着るよ、この白痴《たわけ》、蜘蛛の巣を。」
「綺麗なのう、若い婦人《おなご》じゃい。」
「何。」
「綺麗な若い婦人《おなご》は、お姫様じゃろがい、そのお姫様が着さっしゃるよ。」
「天井か、縁の下か、そんなものがどこに居る?」
 と従七位はまた苦い顔。

       七

 杢若は筵《むしろ》の上から、古綿を啣《くわ》えたような唇を仰向《あおむ》けに反らして、
「あんな事を言って、従七位様、天井や縁の下にお姫様が居るものかよ。」
 馬鹿にしないもんだ、と抵抗面《はむかいづら》は可《よ》かったが、
「解った事を、草の中に居るでないかね……」
 はたして、言う事がこれである。
「そうじゃろう、草の中でのうて、そんなものが居るものか。ああ、何《な》んと云う、どんな虫じゃい。」
「あれ、虫だとよう、従七位様、えらい博識《ものしり》な神主様がよ。お姫様は茸《きのこ》だものをや。……虫だとよう、あはは、あはは。」と、火食せぬ奴《やつ》の歯の白さ、べろんと舌の赤い事。
「茸だと……これ、白痴《たわけ》。聞くものはないが、あまり不便《ふびん》じゃ。氏神様のお尋ねだと思え。茸が婦人《おんな》か、おのれの目には。」
「紅茸《べにたけ》と言うだあね、薄紅《うすあこ》うて、白うて、美《うつくし》い綺麗な婦人《おんな》よ。あれ、知らっしゃんねえがな、この位な事をや。」
 従七位は、白痴《ばか》の毒気を避けるがごとく、笏《しゃく》を廻して、二つ三つ這奴《しゃつ》の鼻の尖《ささ》を払いながら、
「ふん、で、そのおのれが婦《おなご》は、蜘蛛の巣を被《かぶ》って草原に寝ておるじゃな。」
「寝る時は裸体《はだか》だよ。」
「む、茸はな。」
「起きとっても裸体だにのう。――
 粧飾《めか》す時に、薄《うっす》らと裸体に巻く宝ものの美《うつくし》い衣服《きもの》だよ。これは……」
「うむ、天の恵《めぐみ》は洪大じゃ。茸にもさて、被《き》るものをお授けなさるじゃな。」
「違うよ。――お姫様の、めしものを持て――侍女《こしもと》がそう言うだよ。」
「何じゃ、待女《こしもと》とは。」
「やっぱり、はあ、真白《まっしろ》な膚《はだ》に薄紅《うすべに》のさした紅茸だあね。おなじものでも位が違うだ。人間に、神主様も飴屋もあると同一《おなじ》でな。……従七位様は何も知らっしゃらねえ。あはは、松蕈《まつたけ》なんぞは正七位の御前様《ごぜんさま》だ。錦《にしき》の褥《しとね》で、のほんとして、お姫様を視《なが》めておるだ。」
「黙れ! 白痴《たわけ》!……と、こんなものじゃ。」
 と従七位は、山伏どもを、じろじろと横目に掛けつつ、過言を叱する威を示して、
「で、で、その衣服《きもの》はどうじゃい。」
「ははん――姫様《ひいさま》のおめしもの持て――侍女《こしもと》がそう言うと、黒い所へ、黄色と紅条《あかすじ》の縞《しま》を持った女郎蜘蛛の肥えた奴が、両手で、へい、この金銀珠玉だや、それを、その織込んだ、透通る錦《にしき》を捧げて、赤棟蛇《やまかがし》と言うだね、燃える炎のような蛇の鱗《うろこ》へ、馬乗りに乗って、谷底から駈《か》けて来ると、蜘蛛も光れば蛇も光る。」
 と物語る。君がいわゆる実家《さと》の話柄《こと》とて、喋舌《しゃべ》る杢若の目が光る。と、黒痘痕《くろあばた》の眼《まなこ》も輝き、天狗、般若、白狐の、六箇《むつ》の眼玉も赫《かッ》となる。
「まだ足りないで、燈《あかり》を――燈を、と細い声して言うと、土からも湧《わ》けば、大木の幹にも伝わる、土蜘蛛だ、朽木だ、山蛭《やまひる》だ、俺《おれ》が実家《さと》は祭礼《おまつり》の蒼い万燈、紫色の揃いの提灯、さいかち茨《いばら》の赤い山車《だし》だ。」
 と言う……葉ながら散った、山葡萄《やまぶどう》と山茱萸《やまぐみ》の夜露が化けた風情にも、深山《みやま》の状《さま》が思わるる。
「いつでも俺は、気の向いた時、勝手にふらりと実家《さと》へ行《ゆ》くだが、今度は山から迎いが来たよ。祭礼《まつり》に就いてだ。この間、宵に大雨のどッとと降った夜さり、あの用心池の水溜《みずたまり》の所を通ると、掃溜《はきだめ》の前に、円い笠を着た黒いものが蹲踞《しゃが》んでいたがね、俺を見ると、ぬうと立って、すぽんすぽんと歩行《ある》き出して、雲の底に月のある、どしゃ降《ぶり》の中でな、時々、のほん、と立停《たちどま》っては俺が方をふり向いて見い見いするだ。頭からずぼりと黒い奴で、顔は分んねえだが、こっちを呼びそうにするから、その後へついて行《ゆ》くと、石の鳥居から曲って入って、こっちへ来ると見えなくなった――
 俺《おら》あ家へ入ろうと思うと、向うの百日紅《さるすべり》の樹の下に立っている……」
 指した方《かた》を、従七位が見返った時、もうそこに、宮奴《みやっこ》の影はなかった。
 御手洗《みたらし》の音も途絶えて、時雨《しぐれ》のような川瀬が響く。……

       八

「そのまんま消えたがのう。お社《やしろ》の柵の横手を、坂の方へ行ったらしいで、後へ、すたすた。坂の下口《おりくち》で気が附くと、驚《おど》かしやがらい、畜生めが。俺の袖の中から、皺《しわ》びた、いぼいぼのある蒼《あお》い顔を出して笑った。――山は御祭礼《おまつり》で、お迎いだ――とよう。……此奴《こやつ》はよ、大《でか》い蕈《きのこ》で、釣鐘蕈《つりがねだけ》と言うて、叩くとガーンと音のする、劫羅《こうら》経た親仁《おやじ》よ。……巫山戯《ふざけ》た爺《じじい》が、驚かしやがって、頭をコンとお見舞申そうと思ったりゃ、もう、すっこ抜けて、坂の中途の樫《かし》の木の下に雨宿りと澄ましてけつかる。
 川端へ着くと、薄《うっす》らと月が出たよ。大川はいつもより幅が広い、霧で茫《ぼう》として海見たようだ。流《ながれ》の上の真中《まんなか》へな、小船が一|艘《そう》。――先刻《さっき》ここで木の実を売っておった婦《おんな》のような、丸い笠きた、白い女が二人乗って、川下から流を逆に泳いで通る、漕《こ》ぐじゃねえ。底蛇と言うて、川に居《お》る蛇が船に乗ッけて底を渡るだもの。船頭なんか、要るものかい、ははん。」
 と高慢な笑い方で、
「船からよ、白い手で招くだね。黒親仁は俺を負《おぶ》って、ざぶざぶと流《ながれ》を渡って、船に乗った。二人の婦人《おんな》は、柴に附着《くッつ》けて売られたっけ、毒だ言うて川下へ流されたのが遁《に》げて来ただね。
 ずっと川上へ行《ゆ》くと、そこらは濁らぬ。山奥の方は明《あかる》い月だ。真蒼《まっさお》な激《はげし》い流が、白く颯《さっ》と分れると、大《おおき》な蛇が迎いに来た、でないと船が、もうその上は小蛇の力で動かんでな。底を背負《しょ》って、一廻りまわって、船首《みよし》へ、鎌首を擡《もた》げて泳ぐ、竜頭の船と言うだとよ。俺は殿様だ。……
 大巌《おおいわ》の岸へ着くと、その鎌首で、親仁の頭をドンと敲《たた》いて、(お先へ。)だってよ、べろりと赤い舌を出して笑って谷へ隠れた。山路はぞろぞろと皆、お祭礼《まつり》の茸だね。坊主様《ぼんさま》も尼様も交ってよ、尼は大勢、びしょびしょびしょびしょと湿った所を、坊主様は、すたすたすたすた乾いた土を行《ゆ》く。湿地茸《しめじたけ》、木茸《きくらげ》、針茸《はりたけ》、革茸《こうたけ》、羊肚茸《いぐち》、白茸《しろたけ》、やあ、一杯だ一杯だ。」
 と筵《むしろ》の上を膝で刻んで、嬉しそうに、ニヤニヤして、
「初茸《はつたけ》なんか、親孝行で、夜遊びはいたしません、指を啣《くわ》えているだよ。……さあ、お姫様の踊がはじまる。」
 と、首を横に掉《ふ》って手を敲いて、
「お姫様も一人ではない。侍女《こしもと》は千人だ。女郎蜘蛛が蛇に乗っちゃ、ぞろぞろぞろぞろみんな衣裳を持って来ると、すっと巻いて、袖を開く。裾《すそ》を浮かすと、紅玉《ルビイ》に乳が透き、緑玉《エメラルド》に股《もも》が映る、金剛石《ダイヤモンド》に肩が輝く。薄紅《うすあか》い影、青い隈取《くまど》り、水晶のような可愛い目、珊瑚《さんご》の玉は唇よ。揃って、すっ、はらりと、すっ、袖をば、裳《すそ》をば、碧《あい》に靡《なび》かし、紫に颯と捌《さば》く、薄紅《うすべに》を飜《ひるがえ》す。
 笛が聞える、鼓が鳴る。ひゅうら、ひゅうら、ツテン、テン、おひゃら、ひゅうい、チテン、テン、ひゃあらひゃあら、トテン、テン。」
 廓《くるわ》のしらべか、松風か、ひゅうら、ひゅうら、ツテン、テン。あらず、天狗の囃子《はやし》であろう。杢若の声を遥《はるか》に呼交す。
「唄は
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