萸《やまぐみ》の夜露が化けた風情にも、深山《みやま》の状《さま》が思わるる。
「いつでも俺は、気の向いた時、勝手にふらりと実家《さと》へ行《ゆ》くだが、今度は山から迎いが来たよ。祭礼《まつり》に就いてだ。この間、宵に大雨のどッとと降った夜さり、あの用心池の水溜《みずたまり》の所を通ると、掃溜《はきだめ》の前に、円い笠を着た黒いものが蹲踞《しゃが》んでいたがね、俺を見ると、ぬうと立って、すぽんすぽんと歩行《ある》き出して、雲の底に月のある、どしゃ降《ぶり》の中でな、時々、のほん、と立停《たちどま》っては俺が方をふり向いて見い見いするだ。頭からずぼりと黒い奴で、顔は分んねえだが、こっちを呼びそうにするから、その後へついて行《ゆ》くと、石の鳥居から曲って入って、こっちへ来ると見えなくなった――
俺《おら》あ家へ入ろうと思うと、向うの百日紅《さるすべり》の樹の下に立っている……」
指した方《かた》を、従七位が見返った時、もうそこに、宮奴《みやっこ》の影はなかった。
御手洗《みたらし》の音も途絶えて、時雨《しぐれ》のような川瀬が響く。……
八
「そのまんま消えたがのう。お社《やしろ》の柵の横手を、坂の方へ行ったらしいで、後へ、すたすた。坂の下口《おりくち》で気が附くと、驚《おど》かしやがらい、畜生めが。俺の袖の中から、皺《しわ》びた、いぼいぼのある蒼《あお》い顔を出して笑った。――山は御祭礼《おまつり》で、お迎いだ――とよう。……此奴《こやつ》はよ、大《でか》い蕈《きのこ》で、釣鐘蕈《つりがねだけ》と言うて、叩くとガーンと音のする、劫羅《こうら》経た親仁《おやじ》よ。……巫山戯《ふざけ》た爺《じじい》が、驚かしやがって、頭をコンとお見舞申そうと思ったりゃ、もう、すっこ抜けて、坂の中途の樫《かし》の木の下に雨宿りと澄ましてけつかる。
川端へ着くと、薄《うっす》らと月が出たよ。大川はいつもより幅が広い、霧で茫《ぼう》として海見たようだ。流《ながれ》の上の真中《まんなか》へな、小船が一|艘《そう》。――先刻《さっき》ここで木の実を売っておった婦《おんな》のような、丸い笠きた、白い女が二人乗って、川下から流を逆に泳いで通る、漕《こ》ぐじゃねえ。底蛇と言うて、川に居《お》る蛇が船に乗ッけて底を渡るだもの。船頭なんか、要るものかい、ははん。」
と高慢な笑い方で
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