に、音の無い草鞋を留《と》めた。
 この行燈で、巣に搦《から》んだいろいろの虫は、空蝉《うつせみ》のその羅《うすもの》の柳条目《しまめ》に見えた。灯に蛾《ひとりむし》よりも鮮明《あざやか》である。
 但し異形な山伏の、天狗、般若、狐も見えた。が、一際《ひときわ》色は、杢若の鼻の頭《さき》で、
「えら美しい衣服《べべ》じゃろがな。」
 と蠢《うごめ》かいて言った処は、青竹二本に渡したにつけても、魔道における七夕《たなばた》の貸小袖という趣である。
 従七位の摂理の太夫は、黒痘痕《くろあばた》の皺《しわ》を歪《ゆが》めて、苦笑《にがわらい》して、
「白痴《たわけ》が。今にはじめぬ事じゃが、まずこれが衣類ともせい……どこの棒杭《ぼうぐい》がこれを着るよ。余りの事ゆえ尋ねるが、おのれとても、氏子の一人じゃ、こう訊くのも、氏神様の、」
 と厳《おごそか》に袖に笏《しゃく》を立てて、
「恐多いが、思召《おぼしめし》じゃとそう思え。誰が、着るよ、この白痴《たわけ》、蜘蛛の巣を。」
「綺麗なのう、若い婦人《おなご》じゃい。」
「何。」
「綺麗な若い婦人《おなご》は、お姫様じゃろがい、そのお姫様が着さっしゃるよ。」
「天井か、縁の下か、そんなものがどこに居る?」
 と従七位はまた苦い顔。

       七

 杢若は筵《むしろ》の上から、古綿を啣《くわ》えたような唇を仰向《あおむ》けに反らして、
「あんな事を言って、従七位様、天井や縁の下にお姫様が居るものかよ。」
 馬鹿にしないもんだ、と抵抗面《はむかいづら》は可《よ》かったが、
「解った事を、草の中に居るでないかね……」
 はたして、言う事がこれである。
「そうじゃろう、草の中でのうて、そんなものが居るものか。ああ、何《な》んと云う、どんな虫じゃい。」
「あれ、虫だとよう、従七位様、えらい博識《ものしり》な神主様がよ。お姫様は茸《きのこ》だものをや。……虫だとよう、あはは、あはは。」と、火食せぬ奴《やつ》の歯の白さ、べろんと舌の赤い事。
「茸だと……これ、白痴《たわけ》。聞くものはないが、あまり不便《ふびん》じゃ。氏神様のお尋ねだと思え。茸が婦人《おんな》か、おのれの目には。」
「紅茸《べにたけ》と言うだあね、薄紅《うすあこ》うて、白うて、美《うつくし》い綺麗な婦人《おんな》よ。あれ、知らっしゃんねえがな、この位な事をや。」
 
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