》に逸《はや》るのを、仰向《あおむ》けに、ドンと蹴倒《けたお》いて、
「汚《けが》れものが、退《しさ》りおれ。――塩を持て、塩を持てい。」
 いや、小児《こども》等は一すくみ。
 あの顔一目で縮み上る……
 が、大人《うし》に道徳というはそぐわぬ。博学深識の従《じゅ》七位、花咲く霧に烏帽子は、大宮人の風情がある。
「火を、ようしめせよ、燠《おき》が散るぞよ。」
 と烏帽子を下向けに、その住居《すまい》へ声を懸けて、樹の下を出しなの時、
「雨はどうじゃ……ちと曇ったぞ。」と、密《そ》と、袖を捲《ま》きながら、紅白の旗のひらひらする、小松大松のあたりを見た。
「あの、大旗が濡れてはならぬが、降りもせまいかな。」
 と半ば呟《つぶや》き呟き、颯《さっ》と巻袖の笏《しゃく》を上げつつ、とこう、石の鳥居の彼方《かなた》なる、高き帆柱のごとき旗棹《はたざお》の空を仰ぎながら、カタリカタリと足駄を踏んで、斜めに木の鳥居に近づくと、や! 鼻の提灯《ちょうちん》、真赤《まっか》な猿の面《つら》、飴屋《あめや》一軒、犬も居《お》らぬに、杢若が明《あきら》かに店を張って、暗がりに、のほんとしている。
 馬鹿が拍手《かしわで》を拍《う》った。
「御前様《ごぜんさま》。」
「杢か。」
「ひひひひひ。」
「何をしておる。」
「少しも売れませんわい。」
「馬鹿が。」
 と夜陰に、一つ洞穴《ほら》を抜けるような乾《から》びた声の大音で、
「何を売るや。」
「美しい衣服《べべ》だがのう。」
「何?」
 暗《やみ》を見透かすようにすると、ものの静かさ、松の香が芬《ぷん》とする。

       六

 鼠色の石持《こくもち》、黒い袴《はかま》を穿《は》いた宮奴《みやっこ》が、百日紅《さるすべり》の下に影のごとく踞《うずく》まって、びしゃッびしゃッと、手桶《ておけ》を片手に、箒《ほうき》で水を打つのが見える、と……そこへ――
 あれあれ何じゃ、ばばばばばば、と赤く、かなで書いた字が宙に出て、白い四角な燈《あかり》が通る、三箇の人影、六本の草鞋《わらじ》の脚。
 燈《ともしび》一つに附着合《くッつきあ》って、スッと鳥居を潜《くぐ》って来たのは、三人|斉《ひと》しく山伏なり。白衣《びゃくえ》に白布の顱巻《はちまき》したが、面《おもて》こそは異形《いぎょう》なれ。丹塗《にぬり》の天狗に、緑青色《ろくしょういろ
前へ 次へ
全17ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング