はるか》な他国の廓《くるわ》で、夜更けて寝乱れた従妹《いとこ》にめぐり合って、すがり寄る、手の緋縮緬《ひぢりめん》は心の通う同じ骨肉の血であるがごとく胸をそそられたのである。
抱えられた家も、勤めの名も、手紙のたよりに聞いて忘れぬ。
「可《よ》し。」
肩を揺《ゆす》って、一ツ、胸で意気込んで、帽子を俯向《うつむ》けにして、御堂の廂《ひさし》を出た。……
軽い雨で、もう面《おもて》を打つほどではないが、引緊《ひきし》めた袂《たもと》重たく、しょんぼりとして、九十九折《つづらおり》なる抜裏、横町。谷のドン底の溝《どぶ》づたい、次第に暗き奥山路《おくやまみち》。
六
時々足許から、はっと鳥の立つ女の影。……けたたましく、可哀《あわれ》に、心悲《うらがな》しい、鳶《とび》にとらるると聞く果敢《はか》ない蝉の声に、俊吉は肝を冷しつつ、※[#「火+發」、269−9]々《ぱっぱっ》と面《おもて》を照らす狐火《きつねび》の御神燈に、幾たびか驚いて目を塞《ふさ》いだが、路も坂に沈むばかり。いよいよ谷深く、水が漆《うるし》を流した溝端《どぶばた》に、茨《いばら》のごとき格子|前《さき》、消えずに目に着く狐火が一つ、ぼんやりとして(蔦屋《つたや》)とある。
「これだ。」
密《そっ》と、下へ屈《かが》むようにしてその御神燈を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》すと、他《ほか》に小草《おぐさ》の影は無い、染次、と記した一葉《ひとは》のみ。で、それさえ、もと居たらしい芸妓《げいしゃ》の上へ貼紙《はりがみ》をしたのに記してあった。看板を書《かき》かえる隙《ひま》もない、まだ出たてだという、新しさより、一人旅の木賃宿に、かよわい女が紙衾《かみぶすま》の可哀さが見えた。
とばかりで、俊吉は黙って通過ぎた。
が、筋向うの格子戸の鼠鳴《ねずみなき》に、ハッと、むささびが吠《ほ》えたほど驚いて引返《ひっかえ》して、蔦屋の門を逆に戻る。
俯向《うつむ》いて彳《たたず》んでまた御神燈を覗《のぞ》いた。が、前刻《さっき》の雨が降込んで閉めたのか、框《かまち》の障子は引いてある。……そこに切張《きりばり》の紙に目隠しされて、あの女が染次か、と思う、胸がドキドキして、また行過ぎる。
トあの鼠鳴がこっちを見た。狐のようで鼻が白い。
俊吉は取って返した。また戻って、同じことを四五|度《たび》した。
いいもの望みで、木賃を恥じた外聞ではない。……巡礼の笈《おい》に国々の名所古跡の入ったほど、いろいろの影について廻った三年ぶりの馴染《なじみ》に逢う、今、現在、ここで逢うのに無事では済むまい、――お互に降って湧《わ》くような事があろう、と取越苦労の胸騒《むなさわぎ》がしたのであった。
「御免。」
と思切って声を掛けた時、俊吉の手は格子を圧《おさ》えて、そして片足|遁構《にげがま》えで立っていた。
「今晩は。」
「はい、今晩は。」
と平べったい、が切口上で、障子を半分開けたのを、孤家《ひとつや》の婆々《ばばあ》かと思うと、たぼの張った、脊の低い、年紀《とし》には似ないで、頸《くび》を塗った、浴衣の模様も大年増。
これが女房とすぐに知れた。
俊吉は、ト御神燈の灯を避《よ》けて、路地の暗い方へ衝《つッ》と身を引く。
白粉《おしろい》のその頸を、ぬいと出額《おでこ》の下の、小慧《こざか》しげに、世智辛く光る金壺眼《かなつぼまなこ》で、じろりと見越して、
「今晩は。誰方様《どなたさま》で?」
「お宅に染次ってのは居《お》りますか。」
「はい居りますでございますが。」
と立塞《たちふさ》がるように、しかも、遁《にが》すまいとするように、框《かまち》一杯にはだかるのである。
「ちょっとお呼び下さいませんか。」
ああ、来なければ可《よ》かった、奥も無さそうなのに、声を聞いて出て来ないくらいなら、とがっくり泥濘《ぬかるみ》へ落ちた気がする。
「唯今《ただいま》お湯へ参ってますがね、……まあ、貴方《あなた》。」と金壺眼はいよいよ光った。
「それじゃまた来ましょう。」
「まあ、貴方。」
風体を見定めたか、慌《あわただ》しく土間へ片足を下ろして、
「直《じ》きに帰りますから、まあ、お上んなさいまし。」
「いや、途中で困ったから傘を借りたいと思ったんですが、もう雨も上りましたよ。」
「あら、貴方、串戯《じょうだん》じゃありません。私が染ちゃんに叱られますわ、お帰し申すもんですかよ。」
七
「相合傘でいらっしゃいまし、染ちゃん、嬉しいでしょう、えへへへへ、貴方、御機嫌よう。」
と送出した。……
傘《からかさ》は、染次が褄《つま》を取ってさしかける。
「可厭《いや》な媽々《かかあ》だな。」
「まだ聞えますよ。」
と下へ、
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