「驚いた。」
とほっと呼吸《いき》して、どっか、と俊吉は、はじめて瀬戸ものの火鉢の縁《へり》に坐ったのである。
「ああ、座蒲団《ざぶとん》はこっち。」
と云う、背中に当てて寝ていたのを、ずらして取ろうとしたのを見て、
「敷いておいで、そっちへ行こう、半分ずつ、」
と俊吉はじめて笑った。……
お染は、上野の停車場から。――深川の親の内へも行《ゆ》かずに――じかづけに車でここへ来たのだと云う。……神楽坂は引上げたが、見る間に深くなる雪に、もう郵便局の急な勾配で呼吸《いき》ついて、我慢にも動いてくれない。仕方なしに、あれから路《みち》の無い雪を分けて、矢来の中をそっちこっち、窓明りさえ見れば気兼《きがね》をしいしい、一時《ひととき》ばかり尋ね廻った。持ってた洋傘《こうもり》も雪に折れたから途中で落したと云う。それは洲崎を出る時に買ったままの。憑《つ》きもののようだ、と寂しく笑った。
俊吉は、卍《まんじ》の中を雪に漾《ただよ》う、黒髪のみだれを思った。
女中が、何よりか、と火を入れて炬燵に導いてから、出先へ迎いに出たあとで、冷いとだけ思った袖も裙《すそ》も衣類《きもの》が濡れたから不気味で脱いだ、そして蒲団の下へ掛けたと云う。
「何より不気味だね、衣類《きもの》の濡れるのは。……私、聞いても悚然《ぞっと》する。……済まなかった。お染さん。」
女はそこで怨んだ。
帰る途《みち》すがらも、真実の涙を流した言訳を聞いて、暖い炬燵の膚《はだ》のぬくもりに、とけた雪は、斉《ひと》しく女の瞳に宿った。その時のお染の目は、大《おおき》く※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》られて美しかった。
「女中《ねえ》さんは。」
「女中か、私はね、雪でひとりでに涙が出ると、茫《ぼ》っと何だか赤いじゃないか。引擦《ひっこす》ってみるとお前、つい先へ提灯《ちょうちん》が一つ行くんだ。やっと、はじめて雪の上に、こぼこぼ下駄のあとの印《つ》いたのが見えたっけ。風は出たし……歩行《ある》き悩んだろう。先へ出た女中がまだそこを、うしろの人足《ひとあし》も聞きつけないで、ふらふらして歩行《ある》いているんだ。追着《おッつ》いてね、使《つかい》がこの使だ、手を曳《ひ》くようにして力をつけて、とぼとぼ遣《や》りながら炬燵の事も聞いたよ。
しんせつついでだ、酒屋へ寄ってくれ、と云うと、二
前へ
次へ
全21ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング