》い微笑《ほほえみ》。

       九

「失礼な、どうも奥様をお呼立て申しまして済みません。でも、お差向いの処へ、他人が出ましてはかえってお妨げ、と存じまして、ねえ、旦那。」
 と襖越に待合の女房が云った。
 ぴたりと後手《うしろで》にその後を閉めたあとを、もの言わぬ応答《うけこたえ》にちょっと振返って見て、そのまま片手に茶道具を盆ごと据えて立直って、すらりと蹴出《けだ》しの紅《くれない》に、明石の裾を曳《ひ》いた姿は、しとしとと雨垂れが、子持縞《こもちじま》の浅黄に通って、露に活《い》きたように美しかった。
「いや。」
 とただ間拍子《まびょうし》もなく、女房の言いぐさに返事をする、俊吉の膝へ、衝《つ》と膝をのっかかるようにして盆ごと茶碗を出したのである。
 茶を充満《いっぱい》の吸子《きびしょ》が一所に乗っていた。
 これは卓子台《ちゃぶだい》に載《の》せると可《よ》かった。でなくば、もう少し間《なか》を措《お》いて居《すわ》れば仔細《しさい》なかった。もとから芸妓《げいしゃ》だと離れたろう。前《さき》の遊女《おいらん》は、身を寄せるのに馴《な》れた。しかも披露目《ひろめ》の日の冷汗を恥じて、俊吉の膝に俯伏《うっぷ》した処を、(出ばな。)と呼ばれて立ったのである。……
 お染はもとの座へそうして近々と来て盆ごと出しながら、も一度襖越しに見返った。名ある女を、こうはいかに、あしらうまい、――奥様と云ったな――膝に縋《すが》った透見《すきみ》をしたか、恥と怨《うらみ》を籠めた瞳は、遊里《さと》の二十《はたち》の張《はり》が籠《こも》って、熟《じっ》と襖に注がれた。
 ト見つつ夢のようにうっかりして、なみなみと茶をくんだ朝顔|形《なり》の茶碗に俊吉が手を掛ける、とコトリと響いたのが胸に通って、女は盆ごと男が受取ったと思ったらしい。ドンと落ちると、盆は、ハッと持直そうとする手に引かれて、俊吉の分も浚《さら》った茶碗が対。吸子《きびしょ》も共に発奮《はずみ》を打ってお染は肩から胸、両膝かけて、ざっと、ありたけの茶を浴びたのである。
 むらむらと立つ白い湯気が、崩るる褄《つま》の紅《くれない》の陽炎《かげろう》のごとく包んで伏せた。
 頸《うなじ》を細く、面《おもて》を背けて、島田を斜《ななめ》に、
「あっ。」と云う。
「火傷《やけど》はしないか。」と倒れようとするそ
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