のを見て、石じゃ、と云うのでござりますよ。」

       四

「それではお婆さん楽隠居だ。孫子がさぞ大勢あんなさろうね。」
 と小次郎法師は、話を聞き聞き、子産石の方《かた》を覗《のぞ》きたれば、面白や浪の、云うことも上の空。
 トお茶|注《さ》しましょうと出しかけた、塗盆《ぬりぼん》を膝に伏せて、ふと黙って、姥《うば》は寂しそうに傾いたが、
「何のお前様、この年になりますまで、孫子の影も見はしませぬ。爺《じじい》殿と二人きりで、雨のさみしさ、行燈《あんどう》の薄寒さに、心細う、果敢《はか》ないにつけまして、小児衆《こどもしゅう》を欲しがるお方の、お心を察しますで、のう、子産石も一つ一つ、信心して進じます。
 長い月日の事でござりますから、里の人達は私等《わしら》が事を、人に子だねを進ぜるで、二人が実を持たぬのじゃ、と云いますがの、今ではそれさえ本望で、せめてもの心ゆかしでござりますよ。」
 とかごとがましい口ぶりだったが、柔和な顔に顰《ひそ》みも見えず、温順に莞爾《にっこり》して、
「御新造様《ごしんぞさま》がおありなさりますれば、御坊様《ごぼうさま》にも一かさね、子産石を進ぜましょうに……」
「とんでもない。この団子でも石になれば、それで村方|勧化《かんげ》でもしようけれど、あいにく三界に家なしです。
 しかし今聞いたようでは、さぞお前さんがたは寂《さみ》しかろうね。」
「はい、はい、いえ、御坊様の前で申しましては、お追従《ついしょう》のようでござりますが、仏様は御方便、難有《ありがた》いことでござります。こうやって愛想気《あいそっけ》もない婆々《ばば》が許《とこ》でも、お休み下さりますお人たちに、お茶のお給仕をしておりますれば、何やかや賑《にぎ》やかで、世間話で、ついうかうかと日を暮しますでござります。
 ああ、もしもし、」
 と街道へ、
「休まっしゃりまし。」と呼びかけた。
 車輪のごとき大《おおき》さの、紅白|段々《だんだら》の夏の蝶、河床《かわどこ》は草にかくれて、清水のあとの土に輝く、山際に翼を廻すは、白の脚絆《きゃはん》、草鞋穿《わらじばき》、かすりの単衣《ひとえ》のまくり手に、その看板の洋傘《こうもり》を、手拭《てぬぐい》持つ手に差翳《さしかざ》した、三十《みそぢ》ばかりの女房で。
 あんぺら帽子を阿弥陀《あみだ》かぶり、縞《しま》の襯衣《しゃつ》の大膚脱《おおはだぬぎ》、赤い団扇《うちわ》を帯にさして、手甲《てっこう》、甲掛《こうがけ》厳重に、荷をかついで続くは亭主。
 店から呼んだ姥の声に、女房がちょっと会釈する時、束髪《たばねがみ》の鬢《びん》が戦《そよ》いで、前《さき》を急ぐか、そのまま通る。
 前帯をしゃんとした細腰を、廂《ひさし》にぶらさがるようにして、綻《ほころ》びた脇の下から、狂人《きちがい》の嘉吉は、きょろりと一目。
 ふらふらと葭簀《よしず》を離れて、早や六七間行過ぎた、女房のあとを、すたすたと跣足《はだし》の砂路《すなみち》。
 ほこりを黄色に、ばっと立てて、擦寄って、附着《くッつ》いたが、女房のその洋傘《こうもり》から伸《のし》かかって見越《みこし》入道。
「イヒヒ、イヒヒヒ、」
「これ、悪戯《いたずら》をするでないよ。」
 と姥が爪立《つまだ》って窘《たしな》めたのと、笑声が、ほとんど一所に小次郎法師の耳に入った。
 あたかもその時、亭主驚いたか高調子に、
「傘や洋傘《こうもり》の繕い!――洋傘《こうもりがさ》張替《はりかえ》繕い直し……」
 蝉の鳴く音《ね》を貫いて、誰も通らぬ四辺《あたり》に響いた。
 隙《すか》さず、この不気味な和郎を、女房から押隔てて、荷を真中《まんなか》へ振込むと、流眄《しりめ》に一|睨《にら》み、直ぐ、急足《いそぎあし》になるあとから、和郎は、のそのそ――大《おおき》な影を引いて続く。
「御覧《ごろう》じまし、あの通り困ったものでござります。」
 法師も言葉なく見送るうち、沖から来るか、途絶えては、ずしりと崖を打つ音が、松風と行違いに、向うの山に三度ばかり浪の調べを通わすほどに、紅白|段々《だんだら》の洋傘《こうもり》は、小さく鞠《まり》のようになって、人の頭《かしら》が入交《いれま》ぜに、空へ突きながら行《ゆ》くかと見えて、一条道《ひとすじみち》のそこまでは一軒の苫屋《とまや》もない、彼方《かなた》大崩壊の腰を、点々《ぽつぽつ》。

       五

「あれ、あの大崩壊《おおくずれ》の崖の前途《むこう》へ、皆が見えなくなりました。
 ちょうど、あれを出ました、下の浜でござります。唯今《ただいま》の狂人《きちがい》が、酒に酔って打倒《ぶったお》れておりましたのは……はい、あれは嘉吉と申しまして、私等《わしら》秋谷在の、いけずな野郎でござりましての。
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