て、嘉吉の横顔へびしりと来たげな。
きゃっ!と云うと刎《はね》返って、道ならものの小半町、膝と踵《かかと》で、抜いた腰を引摺《ひきず》るように、その癖、怪飛《けしと》んで遁《に》げて来る。
爺どのは爺どので、息を詰めた汗の処へ、今のきゃあ!で転倒《てんどう》して、わっ、と云うて山の根から飛出す処へ、胸を頭突《ずつき》に来るように、ドンと嘉吉が打附《ぶつか》ったので、両方へ間を置いて、この街道の真中《まんなか》へ、何と、お前様、見られた図ではござりますか。
二人とも尻餅じゃ。
(ど、どうした野郎、)と小腹も立つ、爺どのが恐怖紛《おっかなまぎ》れに、がならっしゃると、早や、変でござりましたげな、きょろん、とした眼《がん》の見据えて、私《わし》が爺の宰八の顔をじろり。
(ば、ば、ば、)
(ええ!)
(怪物《ばけもの》!)と云うかと思うと、ひょいと立って、またばたばたと十足《とあし》ばかり、駆戻って、うつむけに突んのめったげにござりまして、のう。
爺どのは二度|吃驚《びっくり》、起《た》ちかけた膝がまたがっくりと地面《じべた》へ崩れて、ほっと太い呼吸《いき》さついた。かっとなって浪の音も聞えませぬ。それでいて――寂然《しん》として、海ばかり動きます耳に響いて、秋谷へ近路のその山づたい。鈴虫が音《ね》を立てると、露が溢《こぼ》れますような、佳《い》い声で、そして物凄《ものすご》う、
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(ここはどこの細道じゃ、
細道じゃ。
天神さんの細道じゃ、
細道じゃ。
少し通して下さんせ、下さんせ。)
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とあわれに寂しく、貴女の声で聞えました。
その声が遠くなります、山の上を、薄綿で包みますように、雲が白くかかりますと、音が先へ、颯《さ》あ――とたよりない雨が、海の方へ降って来て、お声は山のうらかけて、遠くなって行《ゆ》きますげな。
前刻《さっき》見た兎《う》の毛の雲じゃ、一雨来ようと思うた癖に、こりゃ心ない、荷が濡れよう、と爺どのは駆けて戻って、がッたり車を曳出《ひきだ》しながら、村はずれの小店からまず声をかけて、嘉吉めを見せにやります。
何か、その唄のお声が、のう、十年五十年も昔聞いたようにもあれば、こう云う耳にも、響くと云います。
遠慮すると見えまして、余り委《くわ》しい事は申しませぬが、
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