らわ》せろ! とトロンコの据眼《すえまなこ》で、提灯を下目に睨《にら》む、とぐたりとなった、並木の下。地虫のような鼾《いびき》を立てつつ、大崩壊に差懸《さしかか》ると、海が変って、太平洋を煽《あお》る風に、提灯の蝋《ろう》が倒れて、めらめらと燃えついた。沖の漁火《いさりび》を袖に呼んで、胸毛がじりじりに仰天し、やあ、コン畜生、火の車め、まだ疾《はえ》え、と鬼と組んだ横倒れ、転廻《ころがりまわ》って揉消《もみけ》して、生命《いのち》に別条はなかった。が、その時の大火傷《おおやけど》、享年六十有七歳にして、生まれもつかぬ不具《かたわ》もの――渾名《あだな》を、てんぼう蟹《がに》の宰八《さいはち》と云う、秋谷在の名物|親仁《おやじ》。
「……私《わし》が爺《じじい》殿でござります。」
 と姥《うば》は云って、微笑《ほほえ》んだ。
 小次郎法師は、寿《ことぶ》くごとく、一揖《いちゆう》して、
「成程、尉《じょう》殿だね。」と祝儀する。
「いえ、もう気ままものの碌でなしでござりますが、お庇《かげ》さまで、至って元気がようござりますので、御懇意な近所へは、進退《かけひき》が厭《いや》じゃ、とのう、葉山を越して、日影から、田越逗子《たごえずし》の方へ、遠くまで、てんぼうの肩に背負籠《しょいかご》して、栄螺《さざえ》や、とこぶし、もろ鯵《あじ》の開き、うるめ鰯《いわし》の目刺など持ちましては、飲代《のみしろ》にいたしますが、その時はお前様、村のもとの庄屋様、代々長者の鶴谷《つるや》喜十郎様、」
 と丁寧に名のりを上げて、
「これが私《わし》ども、お主《しゅ》筋に当りましての。そのお邸《やしき》の御用で、東海道の藤沢まで、買物に行ったのでござりました。
 一月に一度ぐらいは、種々《いろいろ》入用のものを、塩やら醤油やら、小さなものは洋燈《ランプ》の心まで、一車《ひとくるま》ずつ調えさっしゃります。
 横浜は西洋臭し、三崎は品が落着かず、界隈《かいわい》は間に合わせの俄《にわか》仕入れ、しけものが多うござりますので、どうしても目量《めかた》のある、ずッしりしたお堅いものは、昔からの藤沢に限りますので、おねだんも安し、徳用向きゆえ、御大家の買物はまた別で、」
 と姥は糸を操るような話しぶり。心のどかに口をまわして、自分もまたお茶参った。
 しばらく往来もなかったのである。

      
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