に、鬼とも言わず、私を拝んでいなさいます。お美しい、お優しい、あの御顔を見ましては、恋の血汐《ちしお》は葉に染めても、秋のあ[#「あ」に傍点]の字も、明さんの名に憚《はばか》って声には出ませぬ。
 一言も交わさずに、ただ御顔を見たばかりでさえ、最愛《いとお》しさに覚悟も弱る。私は夫のござんす身体《からだ》。他《ひと》の妻でありながらも、母さんをお慕い遊ばす、そのお心の優しさが、身に染む時は、恋となり、不義となり、罪となる。
 実の産《うみ》の母御でさえ、一旦この世を去られし上は――幻にも姿を見せ、乳《ち》を呑ませたく添寝もしたい――我が児《こ》最惜《いとし》む心さえ、天上では恋となる、その忌憚《はばかり》で、御遠慮遊ばす。
 まして私は他人の事。
 余計な御苦労かけるのが御不便《ごふびん》さ。決して私は明さんに、在所《ありか》を知らせず隠れていたのに、つい膝許《ひざもと》の稚《おさな》いものが、粗相で手毬《てまり》を流したのが悪縁となりました。
 彼方《かなた》も私も身を苦しめ、心を傷《いた》めておりましたが、お生命《いのち》の危《あやう》いまでも、ここをおたち遊ばさぬゆえ、私わきへ参ります。
 あんまりお心が可傷《いじら》しい、さまでに思召すその毬唄は、その内時節が参りますと、自然にお耳へ入りましょう!
 それは今、私がこの邸を退《の》きますと、もう隅々まで家中が明《あかる》くなる。明さんも思い直して、またここを出て旅行《たび》立ちをなさいます。
 早や今でも沙汰《さた》をする、この邸の不思議な事が、界隈《かいわい》へ拡がりますと、――近い処の、別荘にあの、お一方……」

       四十四

「病《やまい》の後の保養に来ておいでなさいます、それはそれは美しい、余所《よそ》の婦人《おんな》が、気軽な腰元の勧めるまま、徒然《つれづれ》の慰みに、あの宰八を内証で呼んで、(鶴谷の邸の妖怪変化は、皆《みんな》私が手伝いの人と一所に、憂晴《うさは》らしにしたいたずら遊戯《あそび》、聞けば、怪我人も沢山《たんと》出来、嘉吉とやら気が違ったのもあるそうな、つい心ない、気の毒な、皆《みんな》の手当をよくするように。)……
 と白銀黄金《しろがねこがね》を沢山《たんと》授ける。
 さあ、この事が世に聞えて、ぱっと風説《うわさ》の立《たち》ますため、病人は心が引立《ひった》ち、気の
前へ 次へ
全95ページ中88ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング