に濃き紫の筋あり、蕋《しべ》の色黄に、茎は糸より細く、葉は水仙に似て浅緑柔かう、手にせば消えなむばかりなり。苗なりし頃より見覚えつ、紛ふべくもあらぬシヽデンなれば、英雄人を欺《あざ》むけども、苗売我を愚になさず、と皆打寄りて、土ながら根を掘りて鉢に植ゑ、水やりて縁に差置き、とみかう見るうち、品も一段打上りて、縁日ものの比にあらず、夜露に濡れしが、翌日は花また二ツ咲きぬ、いづれも入相《いりあひ》の頃しぼみて東雲《しのゝめ》に別なるが開く、三朝《みあさ》にして四日目の昼頃見れば花唯一ツのみ、葉もしをれ、根も乾きて、昨日には似ぬ風情《ふぜい》、咲くべき蕾も探し当てず、然ればこそシヽデンなりけれ、申訳だけに咲いたわと、すげなくも謂ひけるよ。
翌朝《あくるあさ》、例の秋さん、二階へ駈上る跫音高く、朝寝の枕を叩きて、起きよ、心なき人、人心なく花|却《かへ》つて情あり、昨《さく》、冷かにいひおとしめしを恥ぢたりけん、シヽデンの花、開くこと、今朝|一時《いつとき》に十一と、慌《あわたゞ》しく起出でて鉢を抱《いだ》けば花菫《はなすみれ》野山に満ちたる装《よそほひ》なり。見つゝ思はず悚然《ぞつ》として、いしくも咲いたり、可愛《かはゆ》き花、薊《あざみ》、鬼百合《おにゆり》の猛《たけ》くんば、我が言《ことば》に憤りもせめ、姿形のしをらしさにつけ、汝優しき心より、百年《もゝとせ》の齢《よはひ》を捧げて、一朝の盛を見するならずや、いかばかり、我を怨みなんと、あはれさ言ふべくもあらず。漱《くちそゝ》ぎ果てつ、書斎なる小机に据ゑて、人なき時、端然として、失言を謝す。然《しか》も夕《ゆふべ》にはしをれんもの、願くば、葉の命だに久しかれ、荒き風にも当つべきか。なほ心安からず、みづから我が心なかりしを悔いたりしに、次の朝に至りて更に十三の花咲けり、嬉しさいふべからず、やよや人々又シヽデンといふことなかれ、我が家のものいふ花ぞと、いとせめて愛《め》であへりし、其の日、日曜にて宙外《ちうぐわい》君立寄らる。
巻莨《まきたばこ》の手を控へ掌《たなそこ》に葉を撫して、何《なん》ぞ主人のむくつけき、何ぞ此の花のしをらしきと。主人大いに恐縮して仮名の名を聞けば氏も知らずと言はる。忘れたり、斯道《しだう》に曙山《しよざん》君ありけるを、花一ツ採りて懐にせんも惜《をし》く、よく色を見、葉を覚え、あくる日、四丁目の
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