ぬま》のひた/\と鳴《な》るのが交《まざ》つて、暗夜《あんや》を刻《きざ》んで響《ひゞ》いたが、雲《くも》から下《お》りたか、水《みづ》から湧《わ》いたか、沼《ぬま》の真中《まんなか》あたりへ薄《うす》い煙《けむり》が朦朧《もうろう》と靡《なび》いて立《た》つ……
『煮殺《にころ》すではないぞ。』
『うでるでない。』と言《い》ふ。
『湯加減《ゆかげん》、湯加減《ゆかげん》、』
『水加減《みづかげん》。』と喚《わめ》いた……
『沼《ぬま》の湯《ゆ》は熱《あつ》いか。』とぼやけた音《おん》で聞《き》くのがある……
『熱湯《ねつたう》。』と簡単《かんたん》に答《こた》へた。
『人間《にんげん》は知《し》るまいな。』
『知《し》るものか。』と傲然《がうぜん》とした調子《てうし》で言《い》つた。
『沼《ぬま》から何《なん》で沸湯《にえゆ》が出《で》る。』
『此《こ》の湯《ゆ》が沸《わ》いて殺《ころ》さぬと、魚《うを》が殖《ふ》へて水《みづ》が無《な》くなる、沼《ぬま》が乾《かは》くわ。』
と言《い》つた。
『※[#「口+堯」、125−7]舌《しやべ》るな、働《はたら》け。』
『血《ち》を洗《あら》へ、』
『傷《きづ》を洗《あら》へ』
『小袖《こそで》を剥《は》がせ』
『此《こ》の紫《むらさき》は?』
『菖蒲《あやめ》よ、藤《ふぢ》よ。』
『帯《おび》が長《なが》いぞ。』
『蔦《つた》、桂《かつら》、山鳥《やまどり》の尾《を》よ。』
『下着《したぎ》も奪《うば》へ、』
『此《こ》の紅《くれなゐ》は、』
『もみぢ、花《はな》。』
『やあ、此《こ》の膚《はだえ》は、』
『山陰《やまかげ》の雪《ゆき》だ。』
 ひいツ、と魂消《たまぎ》つて悲鳴《ひめい》を上《あ》げた、糸《いと》のやうな女《をんな》の声《こゑ》が谺《こだま》を返《かへ》して沼《ぬま》に響《ひゞ》いた。

 坊主《ばうず》が此処《こゝ》まで言《い》つた時《とき》、聞《き》いてた私《わたし》は熱鉄《ねつてつ》のやうな汗《あせ》が流《なが》れた。」
と雪枝《ゆきえ》は老爺《ぢゞい》に語《かた》りながら唇《くちびる》を戦《おのゝ》かせて、
「尚《な》ほ坊主《ばうず》が続《つゞ》けて、話《はな》す。

 さあ何《なに》ものかゞ寄《よ》つて集《たか》つて、誰《たれ》かを白裸《まるはだか》にした、と思《おも》へば、
『犬《いぬ》よ、犬《いぬ》よ。』と呼《よ》んだのがある。
 びやう、びやう、うおゝ、うおゝ、うゝ、と遥《はる》かに犬《いぬ》が長吠《ながぼえ》して、可忌《いまは》しく夜陰《やいん》を貫《つらぬ》いたが、瞬《またゝ》く間《ま》に、里《さと》の方《はう》から、風《かぜ》のやうに颯《さつ》と来《き》て、背後《うしろ》から、足代場《あじろば》の上《うへ》に蹲《うづくま》つた――法衣《ころも》の袖《そで》を掠《かす》めて飛《と》んだ、トタンに腥《なまぐさ》い獣《けもの》の香《にほひ》がした。
 水《みづ》の上《うへ》で、わん、わん、と啼《な》く……
『男《をとこ》は知《し》るまい。』
『うゝ、』と犬《いぬ》の声《こゑ》。
『不便《ふびん》な奴《やつ》だ。』
『びやう、』と又《また》啼《な》いた。
 此《こ》の間《あひだ》、ざぶり/\と水《みづ》を懸《か》ける音《おと》が頻《しきり》にした。
『やがて可《い》いか、』
『血《ち》は留《と》まつた。』
『又《また》鞭打《むちう》つて、』
『又《また》洗《あら》はう。』
『やあ、己《おれ》が手《て》、』
『我《わ》が足《あし》、』
『此《こ》の面《つら》に絡《まつ》はるは。』
『水《みづ》に拡《ひろ》がる黒髪《くろかみ》ぢや、』
『山《やま》の婆々《ばゞ》の白髪《しらが》のやうに、すく/\と痛《いた》うは刺《さ》さぬ。』
『蛇《へび》よりは心地《こゝち》よやな。』と次第《しだい》に声《こゑ》が風《かぜ》に乗《の》り行《ゆ》く……

         二十四

 びやう/\と凄《すご》い声《こゑ》で、形《かたち》は見《み》えず、沼《ぬま》の上《うへ》で空《そら》ざまに犬《いぬ》が啼《な》く。
『犬《いぬ》よ、犬《いぬ》よ。』
『おう。』と吠《ほ》えた。
『人間《にんげん》の目《め》には見《み》えぬ……城山《しろやま》の天守《てんしゆ》の上《うへ》に、女《をんな》は梁《うつばり》から釣《つる》して置《お》く、と男《をとこ》に言《い》へ!』
『何《なに》が、彼《あ》の耳《みゝ》へ入《はい》らう。』
『わん、と啼《な》いたら、犬《いぬ》だと思《おも》はう、彼《あ》の痴漢《たわけ》が。』
と嘲《あざけ》る声《こゑ》。傍《かたはら》から老《ふ》けた声《こゑ》して、
『……其《そ》の言附《ことづけ》は、犬《いぬ》では不可《いか》ぬ。時鳥《ほとゝぎす》に一声《ひと
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