からだ》で、口へ出して……」
キリキリと歯を噛《か》んで、つと瞼《まぶた》の色が褪《あ》せた。
「癪《しゃく》か。しっかりなさい、お誓さん。」
さそくに掬《すく》った柄杓《ひしゃく》の水を、削るがごとく口に含んで、
「人間がましい、癪なんぞは、通越しているんです。ああ、この水が、そのまんま、青い煙になって焼いちまってくれればいいのに。」
しばらく、声も途絶えたのである。
「口惜《くや》しいわ、私、小県さん、足が上へ浮く処を、うしろから、もこん、と抱込んだものを、見ました時。」
わなわなと震えたから、小県も肩にかけていた手を離した。倒れそうに腰をつくと、褄《つま》を投げて、片手を苔《こけ》に辷《すべ》らした。
「灰汁《あく》のような毛が一面にかぶさった。枯木のような脊の高い、蒼い顔した※[#「けものへん+非」、88−17]々《ひひ》、あの、絵の※[#「けものへん+非」、88−18]々、それの鼻、がまた高くて巨《おおき》いのが、黒雲のようにかぶさると思いましたばかり……何にも分らなくなりました。
あとで――息の返りましたのは、一軒家で飴《あめ》を売ります、お媼《ばあ》さんと、お爺さんの炉端でした。裏背戸口へ、どさりと音がしたきりだった、という事です。
どんな形で、投《ほう》り出されていたんでしょう。」
褄を引合わせ、身をしめて、
「……のちに、大沼で、とれたといって、旅宿《やど》の台所に、白い雁《がん》が仰向《あおむ》けに、俎《まないた》の上に乗ったのを、ふと見まして、もう一度ゾッとすると、ひきつけて倒れました事さえあるんです。
――その晩は、お爺さんの内から、ほんの四五町の処を、俥《くるま》にのって帰ったのです。急に、ひどい悪寒がするといって、引被《ひっかぶ》って寝ましたきり、枕も顔もあげられますもんですか。悪寒どころですか、身体《からだ》はやけますようですのに、冷い汗を絞るんです。その汗が脇の下も、乳の処も、……ずくずく……悪臭い、鱶《ふか》だか、鮫《さめ》だかの、六月いきれに、すえたような臭《にお》いでしょう。むしりたい、切って取りたい、削りたい、身体中がむかむかして、しっきりなしに吐くんです。
無理やりに服《の》まされました、何の薬のせいですか、有る命は死にません。――活きているかいはなし……ただ西明寺の観音様へお縋《すが》りにまいります。それだって、途中、牡丹のあるところを視《み》ます時の心もちは、ただお察しにまかせます。……何の罪咎《つみとが》があるんでしょう、と思うのは、身勝手な、我身ばかりで、神様や仏様の目で、ごらんになったら。」
「お誓さん、……」
声を沈めて遮った。
「神、仏の目には、何の咎、何の罪もない。あなたのような人間を、かえって悪魔は狙うのですよ。幾年目かに朽ちた牡丹の花が咲いた……それは嘘ではありますまい。人は見て奇瑞《きずい》とするが、魔が咲かせたかも知れないんです。反対に、お誓さんが故郷へ帰った、その瑞兆《ずいちょう》が顕《あら》われたとして、しかも家の骨に地蔵尊を祭る奇特がある。功徳、恭養、善行、美事、その只中《ただなか》を狙うのが、悪魔の役です。どっちにしろ可恐《おそろ》しい、早くそこを通抜けよう。さ、あなたも目をつむって、観音様の前へおいでなさい。」
「――ある時、和尚さんが、お寺へ紅白の切《きれ》を、何ほどか寄進をして欲しいものじゃ、とおっしゃるんです。寺の用でない、諸人《しょにん》の施行《せぎょう》のためじゃけれど、この通りの貧乏寺。……ええ、私の方から、おやくに立ちますならお願い申したいほどですわ。三反持って参りますと、六尺ずつに切りたいが、鋏《はさみ》というものもなし……庖丁ではどうであろう。まあ、手で裂いても間に合いますわ。和尚さんに手伝って三方の上へ重ねました時、つい、それまでは不信心な、何にも知らずにおりました。子育ての慈愛をなさいます、五月帯《いわたおび》のわけを聞きまして、時も時、折も折ですし、……観音様。」
お誓が、髪を長く、すっと立って、麓《ふもと》に白い手を合わせた。
「つい女気で、紅《あか》い切を上へ積んだものですから、真上のを、内証《ないしょ》で、そっと、頂いたんです。」
「それは、めでたい。――結構ではないか、お誓さん。」
お誓は榎の根に、今度は吻《ほっ》として憩った、それと差《さし》むかいに、小県は、より低い処に腰を置いて、片足を前に、くつろぐ状《さま》して、
「節分の夜の事だ。対手《あいて》を鬼と思いたまえ。が、それも出放題過ぎるなら、怪我……病気だと思ったらどうです。怪我や病気は誰もする。……その怪我にも、病気にも障りがなくって、赤ちゃんが、御免なさいよ、ま、出来たとする。昔から偉人には奇蹟が携わる、日を見て、月を見て、星を見て、い
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