て。……あとでは、料理ばかりにして、牡丹亭といったそうです。父がなくなりますと……それが人手から人手へ渡って、あとでは立ちぐされも同様。でも、それも、不景気で、こぼし屋の引取手もなしに、暴風雨《あらし》で潰《つぶ》れたのが、家の骸骨《がいこつ》のように路端《みちばた》に倒れていますわ。
 母はその牡丹亭ごろの、おかみさん。……そんな事は申しませんでもいいんですけど、父とは、大層若くて年が違いました。
 ――町あたりの芸者だそうです。ですが、武家の娘だったせいですか――まだ、私がお腹に。……」
 ふと耳許《みみもと》をほんのりと薄く染めた。
「お腹のうち、本所に居る東京の遠縁のものにたよって出まして、のちに、浅草で、また芸者をしたんですけれど、なくなります時、いまわの際まで、血統《ちすじ》が絶える、田沢の家を、田沢の家をと、せめて後を絶《たや》さないように遺言をしたんです。
 私はその時分、新橋でお酌に出ておりました。十四や十五の考えで、この上一本になって、人の世話になるにした処で、一人で商売をした処で、家を立てるのぞみがありそうに思われません。だもんですから、都合をつけて道をかえまして、梅水へ奉公をしましたのです。自分の口からお恥かしい、余りあからさまのようですが、つむりのものより、なりかたちより、少しでもお金を貯めて、小さな店でも出せますように、その上で、堅気の養子になる人を、縁があったらと、思詰め、念じ切っておりました。
 こんなものでも、一つ家《うち》に、十年の余も辛抱をしますうちには、お一人やお二方、相談をして下さる方のないこともなかったんですけど、田沢の家の養子とでは、まるでかけ離れました縁ですもの。冷たい顔して、きっぱりと、お断り申しました。それが、心得違いだったんです、間違っていたんです。ねえ。」
「間違いではありません。お誓さん、しかし、ただ、道も一条《ひとすじ》の上だとしたら、家を起す――血統を絶やさない、真に立派な覚悟だけれど、……本当は女一人だとすると、どうしていいか、それは、学者でも、教育家でも、たとえばお寺の坊さんでも、実地に当ると、八衢《やちまた》に前途《ゆくて》が岐《わか》れて、道しるべをする事はむずかしい……世の中になったんですね。」
「まったくですわ。でも、それも、まだ月日は長し……昨日《きのう》や今日の事とは思わなかったんですのに
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