れ、とよう。媼ン媼が言うだがええ。」
 なぜか、その女の子、その声に、いや、その言托《ことづけ》をするものに、銑吉さえ一種の威のあるのを感じた。
「そんでは、旦那。」
 白髪の田螺は、麦稈帽《むぎわらぼう》の田螺に、ぼつりと分れる。

       二

「――何だ、薙刀《なぎなた》というのは、――絵馬の画《え》――これか。」
 あの、爺い。口さきで人を薙刀に掛けたな。銑吉は御堂の格子を入って、床の右横の破欄間《やれらんま》にかかった、絵馬を視《み》て、吻《ほっ》と息を吐《つ》きつつ微笑《ほほえ》んだ。
 しかし、一口に絵馬とはいうが、入念《じゅねん》の彩色《さいしき》、塗柄の蒔絵《まきえ》に唐草さえある。もっとも年数のほども分らず、納《おさめ》ぬしの文字などは見分けがつかない。けれども、塗柄を受けた服紗《ふくさ》のようなものは、紗綾《さや》か、緞子《どんす》か、濃い紫をその細工ものに縫込んだ。
 武器は武器でも、念流、一刀流などの猛者《もさ》の手を経たものではない。流儀の名の、静《しずか》も優しい、婦人の奉納に違いない。
 眉も胸も和《なごやか》になった。が、ここへ来て彳《たたず》むまで、銑吉は実は瞳を据え、唇を緊《し》めて、驚破《すわ》といわばの気構《きがまえ》をしたのである。何より聞怯《ききお》じをした事は、いささかたりとも神慮に背くと、静流《しずかりゅう》がひらめくとともに、鼻を殺《そ》がるる、というのである。
 これは、生命《いのち》より可恐《おそろし》い。むかし、悪性《あくしょう》の唐瘡《とうがさ》を煩ったものが、厠《かわや》から出て、嚔《くしゃみ》をした拍子に、鼻が飛んで、鉢前をちょろちょろと這った、二十三夜講の、前《さき》の話を思出す。――その鼻の飛んだ時、キャッと叫ぶと、顔の真中《まんなか》へ舌が出て、もげた鼻を追掛《おっか》けたというのである。鳥博士のは凍傷と聞いたが、結果はおなじい。
 鼻をそがれて、顔の真中へ舌が出たのでは、二度と東京が見られない。第一汽車に乗せなかろう。
 草生《くさおい》の坂を上る時は、日中《ひなか》三時さがり、やや暑さを覚えながら、幾度も単衣《ひとえ》の襟を正した。

 銑吉は、寺を出る時、羽織を、観世音の御堂に脱いで、着流しで扇を持った。この形は、さんげ、さんげ、金剛杖《こうごうづえ》で、お山に昇る力もなく、登山靴で、
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