ぢ》が耳《みゝ》に蚯蚓《みゝず》に似《に》たりや。
 件《くだん》の古井戸《ふるゐど》は、先住《せんぢう》の家《いへ》の妻《つま》ものに狂《くる》ふことありて其處《そこ》に空《むな》しくなりぬとぞ。朽《く》ちたる蓋《ふた》犇々《ひし/\》として大《おほ》いなる石《いし》のおもしを置《お》いたり。友《とも》は心《こゝろ》強《がう》にして、小夜《さよ》の螢《ほたる》の光《ひかり》明《あか》るく、梅《うめ》の切株《きりかぶ》に滑《なめら》かなる青苔《せいたい》の露《つゆ》を照《てら》して、衝《つ》と消《き》えて、背戸《せど》の藪《やぶ》にさら/\とものの歩行《ある》く氣勢《けはひ》するをも恐《おそ》れねど、我《われ》は彼《か》の雨《あめ》の夜《よ》を惱《なや》みし時《とき》、朽木《くちき》の燃《も》ゆる、はた板戸《いたど》洩《も》る遠灯《とほともし》、畦《あぜ》行《ゆ》く小提灯《こぢやうちん》の影《かげ》一《ひと》つ認《みと》めざりしこそ幸《さいはひ》なりけれ。思《おも》へば臆病《おくびやう》の、目《め》を塞《ふさ》いでや歩行《ある》きけん、降《ふり》しきる音《おと》は徑《こみち》を挾《さしはさ》む梢《こずゑ》にざツとかぶさる中《なか》に、取《と》つて食《く》はうと梟《ふくろふ》が鳴《な》きぬ。
 恁《か》くは森《もり》のおどろ/\しき姿《すがた》のみ、大方《おほかた》の風情《ふぜい》はこれに越《こ》えて、朝夕《あさゆふ》の趣《おもむき》言《い》ひ知《し》らずめでたき由《よし》。
 曙《あけぼの》は知《し》らず、黄昏《たそがれ》に此《こ》の森《もり》の中《なか》辿《たど》ることありしが、幹《みき》に葉《は》に茜《あかね》さす夕日《ゆふひ》三筋《みすぢ》四筋《よすぢ》、梢《こずゑ》には羅《うすもの》の靄《もや》を籠《こ》めて、茄子畑《なすばたけ》の根《ね》は暗《くら》く、其《そ》の花《はな》も小《ちひ》さき實《み》となりつ。
 棚《たな》して架《かく》るとにもあらず、夕顏《ゆふがほ》のつる西家《せいか》の廂《ひさし》を這《は》ひ、烏瓜《からすうり》の花《はな》ほの/″\と東家《とうか》の垣《かき》に霧《きり》を吐《は》きぬ。強《し》ひて我《われ》句《く》を求《もと》むるにはあらず、藪《やぶ》には鶯《うぐひす》の音《ね》を入《い》るゝ時《とき》ぞ。
 日《ひ》は茂《しげ》れる中《なか》より暮《く》れ初《そ》めて、小暗《をぐら》きわたり蚊柱《かばしら》は家《いへ》なき處《ところ》に立《た》てり。袂《たもと》すゞしき深《ふか》みどりの樹蔭《こかげ》を行《ゆ》く身《み》には、あはれ小《ちひ》さきものども打《うち》群《む》れてもの言《い》ひかはすわと、それも風情《ふぜい》かな。分《わ》けて見詰《みつ》むるばかり、現《うつゝ》に見《み》ゆるまで美《うつく》しきは紫陽花《あぢさゐ》なり。其《そ》の淺葱《あさぎ》なる、淺《あさ》みどりなる、薄《うす》き濃《こ》き紫《むらさき》なる、中《なか》には紅《くれなゐ》淡《あは》き紅《べに》つけたる、額《がく》といふとぞ。夏《なつ》は然《さ》ることながら此《こ》の邊《あたり》分《わ》けて多《おほ》し。明《あかる》きより暗《くら》きに入《い》る處《ところ》、暗《くら》きより明《あかる》きに出《い》づる處《ところ》、石《いし》に添《そ》ひ、竹《たけ》に添《そ》ひ、籬《まがき》に立《た》ち、戸《と》に彳《たゝず》み、馬蘭《ばらん》の中《なか》の、古井《ふるゐ》の傍《わき》に、紫《むらさき》の俤《おもかげ》なきはあらず。寂《じやく》たる森《もり》の中《なか》深《ふか》く、もう/\と牛《うし》の聲《こゑ》して、沼《ぬま》とも覺《おぼ》しき泥《どろ》の中《なか》に、埒《らち》もこはれ/″\牛《うし》養《やしな》へる庭《には》にさへ紫陽花《あぢさゐ》の花《はな》盛《さかり》なり。
 此時《このとき》、白襟《しろえり》の衣紋《えもん》正《たゞ》しく、濃《こ》いお納戸《なんど》の單衣《ひとへ》着《き》て、紺地《こんぢ》の帶《おび》胸《むな》高《たか》う、高島田《たかしまだ》の品《ひん》よきに、銀《ぎん》の平打《ひらうち》の笄《かうがい》のみ、唯《たゞ》黒髮《くろかみ》の中《なか》に淡《あは》くかざしたるが、手車《てぐるま》と見《み》えたり、小豆色《あづきいろ》の膝《ひざ》かけして、屈竟《くつきやう》なる壯佼《わかもの》具《ぐ》したるが、車《くるま》の輪《わ》も緩《ゆる》やかに、彼《か》の蜘蛛手《くもで》の森《もり》の下道《したみち》を、訪《と》ふ人《ひと》の家《いへ》を尋《たづ》ね惱《なや》みつと覺《おぼ》しく、此處《こゝ》彼處《かしこ》、紫陽花《あぢさゐ》咲《さ》けりと見《み》る處《ところ》、必《かなら》ず、一時《ひととき》ば
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