ッ、ごうごうと吹くなかに――見る見るうちに障子の桟がパッパッと白くなります、雨戸の隙《すき》へ鳥の嘴《くちばし》程吹込む雪です。
「大雪の降る夜《よ》など、町の路《みち》が絶えますと、三日も四日も私一人――」
 三年以前に逢《あ》った時、……お米さんが言ったのです。
    ……………………
「路の絶える。大雪の夜《よ》。」
 お米さんが、あの虎杖の里の、この吹雪に……
「……ただ一人。」――
 私は決然として、身ごしらえをしたのであります。
「電報を――」
 と言って、旅宿を出ました。
 実はなくなりました父が、その危篤《きとく》の時、東京から帰りますのに、(タダイマココマデキマシタ)とこの町から発信した……偶《ふ》とそれを口実に――時間は遅くはありませんが、目口もあかない、この吹雪に、何と言って外へ出ようと、放火《つけび》か強盗、人殺《ひとごろし》に疑われはしまいかと危《あやぶ》むまでに、さんざん思い惑《まど》ったあとです。
 ころ柿のような髪を結った霜げた女中が、雑炊《ぞうすい》でもするのでしょう――土間で大釜《おおがま》の下を焚《た》いていました。番頭は帳場に青い顔をしていました。が、無論、自分たちがその使《つかい》に出ようとは怪我《けが》にも言わないのでありました。

       二

「どうなるのだろう……とにかくこれは尋常事《ただごと》じゃない。」
 私は幾度《いくたび》となく雪に転び、風に倒れながら思ったのであります。
「天狗《てんぐ》の為《な》す業《わざ》だ、――魔の業だ。」
 何しろ可恐《おそろし》い大《おおき》な手が、白い指紋の大渦を巻いているのだと思いました。
 いのちとりの吹雪の中に――
 最後に倒れたのは一つの雪の丘です。――そうは言っても、小高い場所に雪が積ったのではありません、粉雪《こゆき》の吹溜《ふきだま》りがこんもりと積ったのを、哄《どっ》と吹く風が根こそぎにその吹く方へ吹飛ばして運ぶのであります。一つ二つの数《すう》ではない。波の重《かさな》るような、幾つも幾つも、颯《さっ》と吹いて、むらむらと位置を乱して、八方へ高くなります。
 私はもう、それまでに、幾度《いくたび》もその渦にくるくると巻かれて、大《おおき》な水の輪に、孑孑虫《ぼうふらむし》が引《ひっ》くりかえるような形で、取っては投げられ、掴《つか》んでは倒され、捲《ま》き上げては倒されました。
 私は――白昼、北海の荒波の上で起る処のこの吹雪の渦を見た事があります。――一度は、たとえば、敦賀《つるが》湾でありました――絵にかいた雨竜《あまりょう》のぐるぐると輪を巻いて、一条《ひとすじ》、ゆったりと尾を下に垂れたような形のものが、降りしきり、吹煽《ふきあお》って空中に薄黒い列を造ります。
 見ているうちに、その一つが、ぱっと消えるかと思うと、たちまち、ぽっと、続いて同じ形が顕《あらわ》れます。消えるのではない、幽《かすか》に見える若狭《わかさ》の岬へ矢のごとく白くなって飛ぶのです。一つ一つがみなそうでした。――吹雪の渦は湧《わ》いては飛び、湧いては飛びます。
 私の耳を打ち、鼻を捩《ね》じつつ、いま、その渦が乗っては飛び、掠《かす》めては走るんです。
 大波に漂う小舟は、宙天に揺上《ゆすりあげ》らるる時は、ただ波ばかり、白き黒き雲の一片をも見ず、奈落に揉落《もみおと》さるる時は、海底の巌《いわ》の根なる藻の、紅《あか》き碧《あお》きをさえ見ると言います。
 風の一息死ぬ、真空の一瞬時には、町も、屋根も、軒下の流《ながれ》も、その屋根を圧して果しなく十重《とえ》二十重《はたえ》に高く聳《た》ち、遥《はるか》に連《つらな》る雪の山脈も、旅籠《はたご》の炬燵《こたつ》も、釜《かま》も、釜の下なる火も、果《はて》は虎杖の家、お米さんの薄色の袖、紫陽花《あじさい》、紫の花も……お米さんの素足さえ、きっぱりと見えました。が、脈を打って吹雪が来ると、呼吸は咽《むせ》んで、目は盲《めしい》のようになるのでありました。
 最早《もはや》、最後かと思う時に、鎮守の社《やしろ》が目の前にあることに心着いたのであります。同時に峰の尖《とが》ったような真白《まっしろ》な杉の大木を見ました。
 雪難之碑のある処――
 天狗――魔の手など意識しましたのは、その樹のせいかも知れません。ただしこれに目標《めじるし》が出来たためか、背に根が生えたようになって、倒れている雪の丘の飛移るような思いはなくなりました。
 まことは、両側にまだ家のありました頃は、――中に旅籠も交っています――一面識はなくっても、同じ汽車に乗った人たちが、疎《まばら》にも、それぞれの二階に籠《こも》っているらしい、それこそ親友が附添っているように、気丈夫に頼母《たのも》しかったのであります。もっ
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