は、その粉雪を、地《じ》ぐるみ煽立《あおりた》てますので、下からも吹上げ、左右からも吹捲《ふきま》くって、よく言うことですけれども、面《おもて》の向けようがないのです。
小児の足駄を思い出した頃は、実はもう穿《はき》ものなんぞ、疾《とう》の以前になかったのです。
しかし、御安心下さい。――雪の中を跣足《はだし》で歩行《ある》く事は、都会の坊ちゃんや嬢さんが吃驚《びっくり》なさるような、冷いものでないだけは取柄です。ズボリと踏込んだ一息の間は、冷《つめた》さ骨髄に徹するのですが、勢《いきおい》よく歩行《ある》いているうちには温くなります、ほかほかするくらいです。
やがて、六七町潜って出ました。
まだこの間は気丈夫でありました。町の中《うち》ですから両側に家が続いております。この辺は水の綺麗《きれい》な処で、軒下の両側を、清い波を打った小川が流れています。もっともそれなんぞ見えるような容易《やさし》い積り方じゃありません。
御存じの方は、武生と言えば、ああ、水のきれいな処かと言われます――この水が鐘を鍛えるのに適するそうで、釜《かま》、鍋《なべ》、庖丁、一切の名産――その昔は、聞えた刀鍛冶《かたなかじ》も住みました。今も鍛冶屋が軒を並べて、その中に、柳とともに目立つのは旅館であります。
が、もう目貫《めぬき》の町は過ぎた、次第に場末、町端《まちはず》れの――と言うとすぐに大《おおき》な山、嶮《けわし》い坂になります――あたりで。……この町を離れて、鎮守の宮を抜けますと、いま行《ゆ》こうとする、志す処へ着く筈《はず》なのです。
それは、――そこは――自分の口から申兼ねる次第でありますけれども、私の大恩人――いえいえ恩人で、そして、夢にも忘れられない美しい人の侘住居《わびずまい》なのであります。
侘住居と申します――以前は、北国《ほっこく》においても、旅館の設備においては、第一と世に知られたこの武生の中《うち》でも、その随一の旅館の娘で、二十六の年に、その頃の近国の知事の妾《おもいもの》になりました……妾《めかけ》とこそ言え、情深《なさけぶか》く、優《やさし》いのを、昔《いにしえ》の国主の貴婦人、簾中《れんちゅう》のように称《たた》えられたのが名にしおう中の河内《かわち》の山裾《やますそ》なる虎杖《いたどり》の里に、寂しく山家住居《やまがずまい》をしているの
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