すが、勢《いきほひ》よく歩行《ある》いて居《ゐ》るうちには温《あたゝか》く成《な》ります、ほか/\するくらゐです。
やがて、六七|町《ちやう》潛《もぐ》つて出《で》ました。
まだ此《こ》の間《あひだ》は氣丈夫《きぢやうぶ》でありました。町《まち》の中《うち》ですから兩側《りやうがは》に家《いへ》が續《つゞ》いて居《を》ります。此《こ》の邊《へん》は水《みづ》の綺麗《きれい》な處《ところ》で、軒下《のきした》の兩側《りやうがは》を、清《きよ》い波《なみ》を打《う》つた小川《をがは》が流《なが》れて居《ゐ》ます。尤《もつと》も其《そ》れなんぞ見《み》えるやうな容易《やさし》い積《つも》り方《かた》ぢやありません。
御存《ごぞん》じの方《かた》は、武生《たけふ》と言《い》へば、あゝ、水《みづ》のきれいな處《ところ》かと言《い》はれます――此《こ》の水《みづ》が鐘《かね》を鍛《きた》へるのに適《てき》するさうで、釜《かま》、鍋《なべ》、庖丁《はうてう》、一切《いつさい》の名産《めいさん》――其《そ》の昔《むかし》は、聞《きこ》えた刀鍛冶《かたなかぢ》も住《す》みました。今《いま》も鍛冶屋《かぢや》が軒《のき》を並《なら》べて、其《そ》の中《なか》に、柳《やなぎ》とともに目立《めだ》つのは旅館《りよくわん》であります。
が、最《も》う目貫《めぬき》の町《まち》は過《す》ぎた、次第《しだい》に場末《ばすゑ》、町端《まちはづ》れの――と言《い》ふとすぐに大《おほき》な山《やま》、嶮《けはし》い坂《さか》に成《な》ります――あたりで。……此《こ》の町《まち》を離《はな》れて、鎭守《ちんじゆ》の宮《みや》を拔《ぬ》けますと、いま行《ゆ》かうとする、志《こゝろざ》す處《ところ》へ着《つ》く筈《はず》なのです。
それは、――其許《そこ》は――自分《じぶん》の口《くち》から申兼《まをしか》ねる次第《しだい》でありますけれども、私《わたし》の大恩人《だいおんじん》――いえ/\恩人《おんじん》で、そして、夢《ゆめ》にも忘《わす》れられない美《うつく》しい人《ひと》の侘住居《わびずまひ》なのであります。
侘住居《わびずまひ》と申《まを》します――以前《いぜん》は、北國《ほつこく》に於《おい》ても、旅館《りよくわん》の設備《せつび》に於《おい》ては、第一《だいいち》と世《よ》に知《し》られた此《こ》の武生《たけふ》の中《うち》でも、其《そ》の隨一《ずゐいち》の旅館《りよくわん》の娘《むすめ》で、二十六の年《とし》に、其《そ》の頃《ころ》の近國《きんごく》の知事《ちじ》の妾《おもひもの》に成《な》りました……妾《めかけ》とこそ言《い》へ、情深《なさけぶか》く、優《やさし》いのを、昔《いにしへ》の國主《こくしゆ》の貴婦人《きふじん》、簾中《れんちう》のやうに稱《たゝ》へられたのが名《な》にしおふ中《なか》の河内《かはち》の山裾《やますそ》なる虎杖《いたどり》の里《さと》に、寂《さび》しく山家住居《やまがずまひ》をして居《ゐ》るのですから。此《こ》の大雪《おほゆき》の中《なか》に。
二
流《なが》るゝ水《みづ》とともに、武生《たけふ》は女《をんな》のうつくしい處《ところ》だと、昔《むかし》から人《ひと》が言《い》ふのであります。就中《なかんづく》、蔦屋《つたや》――其《そ》の旅館《りよくわん》の――お米《よね》さん(恩人《おんじん》の名《な》です)と言《い》へば、國々《くに/″\》評判《ひやうばん》なのでありました。
まだ汽車《きしや》の通《つう》じない時分《じぶん》の事《こと》。……
「昨夜《さくや》は何方《どちら》でお泊《とま》り。」
「武生《たけふ》でございます。」
「蔦屋《つたや》ですな、綺麗《きれい》な娘《むすめ》さんが居《ゐ》ます。勿論《もちろん》、御覽《ごらん》でせう。」
旅《たび》は道連《みちづれ》が、立場《たてば》でも、又《また》並木《なみき》でも、言《ことば》を掛合《かけあ》ふ中《うち》には、屹《きつ》と此《こ》の事《こと》がなければ納《をさ》まらなかつたほどであつたのです。
往來《ゆきき》に馴《な》れて、幾度《いくたび》も蔦屋《つたや》の客《きやく》と成《な》つて、心得顏《こゝろえがほ》をしたものは、お米《よね》さんの事《こと》を渾名《あだな》して、むつの花《はな》、むつの花《はな》、と言《い》ひました。――色《いろ》と言《い》ひ、また雪《ゆき》の越路《こしぢ》の雪《ゆき》ほどに、世《よ》に知《し》られたと申《まを》す意味《いみ》ではないので――此《これ》は後言《くりごと》であつたのです。……不具《かたは》だと言《い》ふのです。六本指《ろつぽんゆび》、手《て》の小指《こゆび》が左《ひだり》に二《ふた》
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