《みち》が絶《た》えますと、こゝに私《わたし》一人《ひとり》きりで、五日《いつか》も六日《むいか》も暮《くら》しますよ。」
 とほろりとしました。
「其《そ》のかはり夏《なつ》は涼《すゞ》しうございます。避暑《ひしよ》に行《い》らつしやい……お宿《やど》をしますよ。……其《そ》の時分《じぶん》には、降《ふ》るやうに螢《ほたる》が飛《と》んで、此《こ》の水《みづ》には菖蒲《あやめ》が咲《さ》きます。」

 夜汽車《よぎしや》の火《ひ》の粉《こ》が、木《き》の芽峠《めたうげ》を螢《ほたる》に飛《と》んで、窓《まど》には其《そ》の菖蒲《あやめ》が咲《さ》いたのです――夢《ゆめ》のやうです。………あの老尼《らうに》は、お米《よね》さんの守護神《まもりがみ》――はてな、老人《らうじん》は、――知事《ちじ》の怨靈《をんりやう》ではなかつたか。
 そんな事《こと》まで思《おも》ひました。
 圓髷《まるまげ》に結《ゆ》つて、筒袖《こひぐち》を着《き》た人《ひと》を、しかし、其《その》二人《ふたり》は却《かへ》つて、お米《よね》さんを祕密《ひみつ》の霞《かすみ》に包《つゝ》みました。
 三十路《みそぢ》を越《こ》えても、窶《やつ》れても、今《いま》も其《その》美《うつく》しさ。片田舍《かたゐなか》の虎杖《いたどり》になぞ世《よ》にある人《ひと》とは思《おも》はれません。
 ために、音信《おとづれ》を怠《おこた》りました。夢《ゆめ》に所《ところ》がきをするやうですから。……とは言《い》へ、一《ひと》つは、日《ひ》に増《ま》し、不思議《ふしぎ》に色《いろ》の濃《こ》く成《な》る爐《ろ》の右左《みぎひだり》の人《ひと》を憚《はゞか》つたのであります。
 音信《おとづれ》して、恩人《おんじん》に禮《れい》をいたすのに仔細《しさい》はない筈《はず》。雖然《けれども》、下世話《げせわ》にさへ言《い》ひます。慈悲《じひ》すれば、何《なん》とかする。……で、恩人《おんじん》と言《い》ふ、其《そ》の恩《おん》に乘《じやう》じ、情《なさけ》に附入《つけい》るやうな、賤《いや》しい、淺《あさ》ましい、卑劣《ひれつ》な、下司《げす》な、無禮《ぶれい》な思《おも》ひが、何《ど》うしても心《こゝろ》を離《はな》れないものですから、ひとり、自《みづか》ら憚《はゞか》られたのでありました。
 私《わたし》は今《いま
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