く時の景色なんぞ、月が出ていて、山が見えて、海が凪《な》ぎて、みさごが飛んで、そうして、ああするとか、こうするとかいって、聞かせて、といいますけれど、ね、新さん、あなたなら、あなたならば男だからいえるでしょう。いまにあなた章魚《たこ》に灸《きゅう》を据えるとか、蟹《かに》に握飯をたべさすとかいう話でもしてあげて下さいまし。私にゃ、私にゃ、どうしてもあの病人をつかまえて、治ってどうしようなんていうことは、情《なさけ》なくッて言えません。」
という声もうるみにき。
「え、新さん、はなせますか、あなただって困るでしょう。耳が遠くおなんなすったくらい、茫《ぼう》としていらっしゃるのに、悪いことだと小さな声でいうのが遠くに居てよく聞えますもの。
せいせいッてね、痰が咽《のど》にからんでますのが、いかにもお苦しそうだから、早く出なくなりますようにと、私も思いますし、病人も痰を咯《は》くのを楽《たのし》みにしていらっしゃいますがね、果敢《はか》ないじゃありませんか、それが、血を咯くより、なお、酷く悪いんですとさ。
それでいてあがるものはというと、牛乳《ミルク》を少しと、鶏卵ばかり。熱が酷うござんすから舌が乾くッて、とおし、水で濡《ぬら》しているんですよ。もうほんとうにあわれなくらいおやせなすって、菊の露でも吸わせてあげたいほど、小さく美しくおなりだけれど、ねえ、新さん、そうしたら身体《からだ》が消えておしまいなさろうかと思って。」
といいかけて咽泣《むせびな》き、懐より桃色の絹の手巾《ハンケチ》をば取り出でつつ目を拭《ぬぐ》いしを膝にのして、怨《うら》めしげに瞻《みまも》りぬ。
「新さん、手巾《これ》でね、汗を取ってあげるんですがね、そんなに弱々しくおなんなすった、身体から絞るようじゃありませんか。ほんとに冷々《ひやひや》するんですよ。拭《ふ》くたびにだんだんお顔がねえ、小さくなって、頸《えり》ン処が細くなってしまうんですもの、ひどいねえ、私ゃお医者様が、口惜《くやし》くッてなりません。
だって、はじめッから入院さしたッて、どうしたッて、いけないッて見離しているんですもの。今ン処じゃただもう強いお薬のせいで、ようよう持っていますんですとね、ね、十滴ずつ。段々多くするんですッて。」
青き小《ちいさ》き瓶あり。取りて持返して透《すか》したれば、流動体の平面斜めになりぬ。何ならむ、この薬、予が手に重くこたえたり。
じっとみまもれば心も消々《きえぎえ》になりぬ。
その口の方《かた》早や少しく減じたる。それをば命とや。あまり果敢《はか》なさに予は思わず呟《つぶや》きぬ。
「たッたこれだけ、百滴吸ったらなくなるでしょう。」
「いえ、また取りに参ります……」
といいかけて顔を見合せつつ、高津はハッと泣き伏しぬ。ああ、悪きことをいいたり。
秀を忘れよ
「あんまり何だものだから、僕はつい、高津さん気にかけちゃ不可《いけな》い。」
「いいえ、何にもそんなことを気にかけるような、新さん、容体ならいいけれど。」
「どうすりゃ可《い》いのかなあ。」
ただといきのみつかれたる、高津はしばしものいわざりしが、
「どうしようにも、しようがないの。ただねえ、せめて安心をさしてあげられりゃ、ちっとは、新さん何だけれど。」
と予が顔を打《うち》まもれり。
「それがどうすりゃいいんだか。」
「さあ、母様《おっかさん》のことも大抵いい出しはなさらないし、他《ほか》に、別に、こうといって、お心懸《こころがか》りもおあんなさらないようですがね、ただね、始終心配していらっしゃるのは、新さん、あなたの事ですよ。」
「僕を。」
「ですからどうにかして気の休まるようにしてあげて下さいな。心配をかけるのは、新さんあなたが、悪いんですよ。」
「え。」
「あのね、始終そういっていらっしゃるの。(私が居る内は可《い》いけれど、居なくなると、上杉さんがどんなことをしようも知れない)ッて。」
「何を僕が。」
予は顔の色かわらずやと危ぶみしばかりなりき。背《せな》はひたと汗になりぬ。
「いいえ、ほんとうでしょう、ほんとうに違いませんよ。それに違いないお顔ですもの。私が見ましてさえ、何ですか、いつも、もの思《おもい》をして、うつらうつらとしていらっしゃるようじゃありませんか。誠にお可哀相《かわいそう》な様《よう》ですよ。ミリヤアドもそういいましたっけ。(私が慰めてやらなければ、あの児《こ》はどうするだろう)ッて。何もね、秘密なことを私が聞こうじゃありませんけれど、なりますことなら、ミリヤアドに安心をさしてあげて下さいな。え、新さん、(私が居さえすりゃ、大丈夫だけれど、どうも案じられて。)とおっしゃるんですから、何とかしておあげなさいな。あなたにゃその工夫があるでしょう、上
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