らば、まあ結構だと思って、新さん、あなたの処へおたよりをするのにも、段々|快《い》い方ですからお案じなさらないように、そういってあげましたっけ。
そうすると、つい先月のはじめにねえ、少しいつもより容子《ようす》が悪くおなんなすったから、急いで医者に診せましたの。はじめて行った時は、何でもなかったんですが、二度目ですよ。二度目にね、新さん、一所にお医者様の処へ連れて行ってあげた時、まあ、どうでしょう。」
高津はじっと予を見たり。膝にのせたる掌《たなそこ》の指のさきを動かしつつ、
「あすこの、あればかりの石壇にお弱んなすッて、上の壇が一段、どうしてもあがり切れずに呼吸《いき》をついていらっしゃるのを、抱いて上げた時は、私も胸を打たれたんですよ。
まあ可《い》い、可い! ここを的に取って看病しよう。こん度来るまでにはきっと独《ひとり》でお上《あが》んなさるようにして見せよう。そうすりゃ素人目にも快《よ》くおなんなすった解《わか》りが早くッて、結句|張合《はりあい》があると思ったんですが、もうお医者様へいらっしゃることが出来たのはその日ッきり。新さん、やっぱりいけなかったの。
お医者様はとてもいけないって云いました、新さん、私ゃじっと堪《こら》えていたけれどね、傍《そば》に居た老年《としより》の婦人《おんな》の方が深切に、(お気の毒様ですねえ。)
といってくれた時は、もうとても我慢が出来なくなって泣きましたよ。薬を取って溜《たまり》へ行ッちゃ、笑って見せていたけれど、どんなに情《なさけ》なかったでしょう。
様子に見せまいと思っても、ツイ胸が迫って来るもんですから、合乗《あいのり》で帰る道で私の顔を御覧なすって、
(何だねえ、どうしたの、妙な顔をして。)
と笑いながらいって、憎らしいほどちゃんと澄《すま》していらっしゃるんだもの。気分は確《たしか》だし、何にも知らないで、と思うとかわいそうで、私ゃかわいそうで。
今更じゃないけれど、こんな気立《きだて》の可い、優しい、うつくしい方がもう亡くなるのかと思ったら、ねえ、新さん、いつもより百倍も千倍も、優しい、美しい、立派な方に見えたろうじゃありませんか。誂《あつら》えて拵《こしら》えたような、こういう方がまたあろうか、と可惜《あったら》もので。可惜もので。大事な姉さんを一人、もう、どうしようと、我慢が出来なくなってね、車が石の上へ乗った時、私ゃソッと抱いてみたわ。」とぞ微笑《ほほえみ》たる、目には涙を宿したり。
「僕は何だか夢のようだ。」
「私だってほんとうにゃなりません位ひどくおやつれなすったから、ま、今に覧《み》てあげて下さいな。
電報でもかけようか、と思ったのに。よく早く出京《で》て来てね。始終上杉さん、上杉さんッていっていらっしゃるから、どんなにか喜ぶでしょう。しかしね、急にまたお逢いなすっちゃ激するから、そッとして、いまに目をおさましなすッてから私がよくそういって、落着かしてからお逢いなさいましよ。腕車《くるま》やら、汽車やらで、新さん、あなたもお疲れだろうに、すぐこんなことを聞かせまして、もう私ゃ申訳がございません。折角お着き申していながら、どうしたら可《い》いでしょう、堪忍なさいよ。」
菊の露
「もうもう思入《おもいれ》ここで泣いて、ミリヤアドの前じゃ、かなしい顔をしちゃいけません。そっとしておいてあげないと、お医師《いしゃ》が見えて、私が立廻ってさえ、早や何か御自分の身体《からだ》に異《かわ》ったことがあるのかと思って、直《すぐ》に熱が高くなりますからね。
それでなくッてさえ熱がね、新さん四十《しじゅう》度の上あるんです。少し下るのは午前のうちだけで、もうおひるすぎや、夜なんざ、夢中なの。お薬を頂いて、それでまあ熱を取るんですが、日に四|度《たび》ぐらいずつ手巾《ハンケチ》を絞るんですよ。酷《ひど》いじゃありませんか。それでいて痰《たん》がこう咽喉《のど》へからみついてて、呼吸《いき》を塞《ふさ》ぐんですから、今じゃ、ものもよくは言えないんでね、私に話をして聞かしてと始終そういっちゃあね、詰《つま》らないことを喜んで聞いていらっしゃるの。
どんなにか心細いでしょう。寝たっきりで、先月の二十日時分から寝返りさえ容易じゃなくッて、片寝でねえ。耳にまで床ずれがしてますもの。夜《よ》が永いのに眠られないで悩むのですから、どんなに辛いか分りません。話といったってねえ、新さん、酷く神経が鋭くなってて、もう何ですよ、新聞の雑報を聞かしてあげても泣くんですもの。何かねえ、小鳥の事か、木の実の話でもッておっしゃるけれど、どういっていいのか分らず、栗がおッこちるたって、私ゃ縁起が悪いもの。いいようがありません。それでなければ、治ってから片瀬の海浜にでも遊びにゆ
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